『ダークナイト ライジング』に足りぬ奇矯なる者への愛
クリストファー・ノーランのバットマン三部作の最終章『ダークナイト ライジング』を見てきました。『バットマン』(1989年)と『バットマン・リターンズ』(1992年)が好きな小生としては、クリストファー・ノーラン版のバットマンにはいまいち乗れずに三作目を迎えてしまいました。
でも、アン・ハサウェイがデビューする前の小さな女の子だったころからなりたかったキャットウーマンを、念願かなってどう演じているのか興味津々で、やっとこさIMAXシアターに日曜の朝一番で見に行ってきました。
キャットウーマン、よかったですよ。マイケル・ケインもよかった。ゲイリー・オールドマンもよかったです。でもまあ、映画館を出た足取りは重かったですね。どうもクリストファー・ノーランは奇矯の者への愛がないようです。
以下、ネタバレありです。
映画『ダークナイト ライジング』特別予告編【HD】 2012年7月28日公開
CinemaScape/Comment: ダークナイト ライジング
トラウマを抱えながら生きにくい人生を生きている人は、時にやりすぎちゃったり、人に迷惑をかけてしまったり、そうでない人から見たら理解できない人生を送っているわけです。
そういう人が全くいなくなれば、世の中はもっとわかりやすく、平穏無事になるのです。
でも、そんなことは実際の世の中ではありえません。だから希望を映画にしてみました。世の中から理解できない人がみんないなくなる希望です。
バットマンは、なんだかよくわからないトラウマを抱えたコスプレ野郎です。だから、誰からも理解されず犬に追われて引きこもっていました。
今回、ベインが現れます。こいつは、いったいどんな動機があってゴッサムシティを破滅させようとするのでしょう。常人には理解できませんね。だからあっさりキャットウーマンに爆殺されちゃうことにしちゃいましょう。
キャットウーマンは、なぜあんな格好をして人のものを盗むのでしょう。キャットウーマンは美人なので、合理的な理由をつけてあげましょう。個人情報がデータベース化されて過去が消せないので、改心してもまともな職につくことができず、仕方なく変装してこそ泥家業を続けているということにして、そのことを自らの口で観客に説明させてあげましょう。
ミランダは親父の遺志を継いでゴッサムシティを破滅させようとします。理解しがたいファザコンですね。こんな奴、必死の思いで穴から這い出ても、人生変わるわけありませんね。つかの間の夢をみさせたあとは、あっさり死んじゃう設定にしちゃいましょう。女優さんのルックスにちょっと勝間和代が入っているのは、これは単なる偶然です。いや、全然似ていないと思いますよ、別の作品では。「結局、女はキレイが勝ち」、アン・ハサウェイに勝てるはずはありません。
あ、でもトラウマを抱えた人をみんな否定しちゃうわけじゃないですよ。逆境をバネに変えすぎて、はた迷惑な金持ちなんかにならずに(金持ちは金持ちってだけでむかつきますよね?)、変な夢なんか見ないで堅実に公務員やってる奴は立派です。ロビンはそういう設定にしておきましょう。俳優はちょっとダン・ヘンダーソン似な人を起用しましょう。人生は闘いです。でも闘いにグレイシーみたいな大仰な物語を持ち込まれては迷惑ですし、野蛮人が成り上がられても困ります。ここはきっちり過去を清算して、まじめにジ・アメリカン・アスリートとして頑張る彼に未来を託しましょう。UFC見てない人には解らなくてもいいんです。大ヒット映画にはマイナーネタもスパイスとして必要ですから(って、似てねーよと思った皆さん、ごめんなさい)。
で、バットマン。やっぱりトラウマは死ななきゃ治らないってことをみんなに教えてあげなくちゃ。トラウマ持っててナルシスな奴は、よくわからないから、よくわからない悪人に刺されて、最後はナルシスに自死ってのがいいよね。中性子爆弾はさ、原水爆と違って物はそんなに壊れないで生物だけ死ぬの。でも普通の人が死んじゃうのは困るから変人だけが死んじゃうような場所で爆発する設定にしておくね。ミランダもブルースも、希望の青空を見ながら、他人には成し遂げなかった脱獄を遂げるんだけど、幽閉囚が見る希望なんて本当の希望じゃないんだよってメッセージも織り込んでおかないとね。石の壁から希望の青空が見えるってのは、修道院建築の中庭設計のモチーフなんだけど、カソリックをそれとなく否定しておくのもアメリカっぽくていいよね。
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と、まあ、ちょっとこれはないよなあと思って劇場を後にしたわけです。アン・ハサウェイのキャットウーマンだけはもっと見てみたいと思いましたけど。★3はキャットウーマンに。
でもねえ、絶対別の監督で次回作もありますよ。ここまでやられちゃったら次回はトラウマの逆襲しかない。トラウマたちが根絶やしにされたがゆえの平和なんて、受け入れないのが熱心なバットマンの観客でしょう。バットマンの死があからさまには描かれなかったのは、クリストファー・ノーランの美学なのか、配給会社の都合なのかはわかりませんが、バットマンはトラウマを抱えた観客の怨念で必ずや甦ること必至です。そのためのあのラストだと思わないとやってられない。中性子爆弾は水中で爆発させてこそ威力を押さえ込めるはず。空中で自爆するほど、兵器に熟達したブルースが無知なはずはありません。それに、せっかく死を恐れる強さを身につけたのに、あっさり死んだら意味がない。合理的に描かれた作品は、その合理性がゆえに怨念の埋葬に失敗するのです。次回のバットマンは絢爛豪華トラウマ大爆発でお願いします!って、それじゃあティム・バートンか。
(2012.8.26 ユナイテッドシネマとしまえんにてIMAX鑑賞)
★★★☆☆(奇矯なる者への愛が足りない)
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鯖街道の熊川宿に行った
こういう景色を体感してしまうと、東京に戻るのが辛くなる。
■熊川宿から見た風景
鯖街道とは、鯖をはじめとした多くの海産物や物資が運ばれた京都への道のことで、小浜には「京は遠ても十八里」という言葉があるそうだ。
若狭姫神社・若狭彦神社
神社で写真を撮ると、このように柔らかい光がとても綺麗に写り込むことがあります。神社の向きは方角が決まっていて、逆光+木漏れ日になるからでしょうね。
■若狭姫神社
若狭姫神社と若狭彦神社とは二社一体で若狭国一之宮になります。若狭姫と若狭彦を合わせて遠敷明神といい、この神様が最初に降誕されたところは白石神社になっています。遠敷明神をまつってある天台宗の若狭神宮寺は奈良の東大寺へのお水送りで有名です。
遠敷は「おにゅう」と読み、もともとは小丹生であったのを和銅6年(713年)の好字二字令により遠敷の二字が宛てられたそうです。丹生といえば、水銀を扱う古代部族の丹生氏のことで、奈良の大仏の建造には大量の水銀が使われたことは以前にこのブログでも書きました(http://d.hatena.ne.jp/ropebreak/20120704)。また、東大寺を開山した良弁僧正は白石出身です。
お水送りする遠敷井の北西には飛鳥という土地があり、蘇我氏とゆかりがあります。また、丹生といえば空海との関係もありますから、若狭と奈良とは歴史的にずっと大変深い関係があったと言えます。このあたりのことは、あらためて整理してみたいと思っています。
常神半島
帰省がてら嶺南に足をのばす。越の国から大和への移動である。空を舞う何組ものつがいのトンビに導かれて常神半島へ。
■動物たちをびっくりさせないようにゆっくり走っていたら日没の時間になってしまった。日本海の日没は美しい。
樹齢千三百年ともいわれるソテツのすぐ隣に宿をとった。常神のソテツは国の天然記念物に指定されている(常神のソテツ 若狭町観光情報 Discover Wakasa)。
武蔵と小次郎の史実は厳しい(今年は巌流島決闘400周年)
■佐々木小次郎は福井の英雄
福井出身の一番の有名人と言えば佐々木小次郎かもしれない。そう、あの宮本武蔵と巌流島で闘った佐々木小次郎である。
武蔵の弟子達が語った内容を当時の二天一流兵法師範豊田景英がまとめた『二天記』によれば、佐々木小次郎は、越前国宇坂庄浄教寺村(現福井県福井市浄教寺町)で生まれ、秘剣「燕返し」を浄教寺町にある一乗滝で身につけたことになっている。そんなわけで、福井の子供たちにとっては、佐々木小次郎こそが英雄であり、宮本武蔵は約束の時間に遅れてくるわ、普段から武器を両手にして闘うわと邪道を極めた卑怯者ということになっている(と楽しい)。
■小次郎は不戦勝を捨てたのも敗因
さて、巌流島の戦いでは、小次郎は、約束の決闘の時間に巌流島に着いています。ところが宮本武蔵はいっこうにやってきません。本来ならば、小次郎の不戦勝であったのですが、小次郎は不覚にも遅刻魔武蔵を待ってしまった。小次郎はここで自ら勝ちを一つ放棄しています。後日、仕切り直ししていたら勝負はどうなっていたでしょうか。
■武蔵はなんでもありの戦いで勝った
もうひとつ、武蔵は仲間を何人かつれて巌流島に上陸していますが、小次郎はたった一人で決闘にいどみます。これがまずかった。武蔵の武器は、小次郎の長刀に負けぬ長さに削った船の櫂(オール)で作った木刀です。木刀は真剣に比べれば軽い。長刀と比べればなおさらです。だから小次郎より素早く立ちまわることができ、小次郎の脳天に一撃喰らわすことができました。
しかし、木刀の一太刀で相手を絶命させることができるはずもなく、息を吹き返した小次郎は、武蔵の連れてきた連中に集団で襲われて絶命したと細川藩家老の門司城代であった沼田延元の記録をまとめた『沼田家記』にあるそうです。決闘後に小次郎の弟子達の報復を恐れた武蔵は沼田家にかくまわれています。そのときの出来事が記録として残っているのです。しかもこの戦いのとき、武蔵は十九歳、小次郎の年齢は五十代だったそうです。決闘を申し込んだのも武蔵の方からでした。若者が一人の熟年を集団で殺害した、というのが、実際の巌流島の戦いです。
■史実の武蔵にこそ学ぶべき
ところが大変残念なことに、この巌流島の戦いは、吉川英治の小説『宮本武蔵』があまりに有名になったため、この小説をもとに作られた大河ドラマなどの二次制作のヒットもあいまって、美化されすぎた宮本武蔵のイメージが日本中に広まってしまいました。
宮本武蔵の真の価値は、吉川英治の書くような、スマートな武蔵像にあるのではなく、ルールを都合よく自分なりに解釈して相手をはめ、年長者に対しても敬いの心など一切持たず、一対多での戦いにも良心の呵責など何も持たない、決闘を美化しない姿勢にこそあります。
戦いに徹するということは綺麗事ではないはずです。そして老成してから綺麗事を筆で残せばよいのです。なんでもありの国際社会や、プロレス好きの首相のもとで繰り広げられるバーリトゥードな日常で、我々が学ぶべきは、小説の綺麗な武蔵ではなく、史実としてのなんでもありの武蔵なのです。
小次郎が負けたことが重要なのです。それを当時の人はわかっていた。だから巌流島は武蔵島ではなく巌流島なのです(島の名前は、決闘後に佐々木小次郎の号である巌流にちなんで付けられた)。巌流島決闘400周年の今年こそ、ぜひ福井を訪れて、負けた小次郎に思いを馳せ、その敗北から今を生き抜く生き方を学んでみようではありませんか。
生き残ればこんな本も書けるという風に読むとより感慨深い
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