ルネ・マグリットのシューズ
私は、五本指のソックスは嫌いだが、五本指のシューズはたまらなく履いてみたい。最近は、五本指のソックスをはいている人は、ぱらぱらと見かけるようになったが、五本指のシューズを実際に履いてトレーニングしている人には、いまだかつてお見かけしたことがない。
五本指のシューズには独特の開放感があるそうだ。ジムでトレーニングをすると身体が解放されるので、私はいつもトレーニングの途中で自分の履いている硬いシューズが恨めしくなる。五本指シューズの開放感はいかばかりだろうか。
しかしながら五本指のシューズを履くためには、五本指のソックスを履かなければならない(註)。これは厳しい。五本指のソックスは美しくないんだよね。よくある綿の五本指ソックスは、水虫防止オーラが出過ぎていて、これを履いている人を見ると足が相当臭いんじゃないかと勝手に思ってしまう。五本指ソックスは守りの機能だ。守りの機能美は美しくない。カラフルな五本指のソックスが普通になるといいんだが。
それにひきかえ、五本指シューズには攻めの機能美がある。五本指シューズで代表的なVibram FiveFingers について書かれたwiredの記事を引用してみよう。もうすぐにも履きたくなるではないか。
Vibram FiveFingersは、驚くほど履き心地も良い。指が小さなポケットにすんなりおさまるため、楽なだけでなく、踏みしめた地面の感触も非常によく伝わってくる。いつもの革の牢獄から解放されたつま先は、トポグラフィー装置のセンサーアレイのように敏感になる。
Vibram FiveFingersを履いて走るのは、裸足で走るのとよく似ている――そして、砂利道や焼けるように熱いアスファルト道路に出くわしても悲鳴を上げずに済むという利点がある。
裸足で走ることは、靴で走ることとは違う体験だ。裸足で走る場合は、靴の場合と比べてより大股で走り、衰えたふくらはぎや土踏まずの筋肉を使用する必要がある[動画参照]。だが、そうするだけのことはある。より効率良く大股で走ることによって、正直言って走るのが遅い私が、1マイル(約1.6キロ)当たり1分近くタイムを縮めることができたのだ。
「ほとんど裸足で走れる5本指シューズ」の利点 « WIRED.jpより
肉体の開放感が得られてなおかつタイムが上がる。こんなに素晴らしいことはない。おまけにwired にはこんな素敵な Vibram FiveFingers の写真が掲載されている。
でも、私はVibram のオンラインショップを見ていて気付いてしまった。これはルネ・マグリットの描くブーツなのだと。ルネ・マグリットの『赤いモデル』は、産業消費社会が肉体を浸食してしまう近未来の予言的戯画だったのではないかと思うのだが、それが現実化した今、私は逆にルネ・マグリットの靴を履いて、自らの肉体を再認識する快楽を求めているのかもしれない。
Vibram Men's TREK LS Tan Brown
Barefootinc.jp/TOPページ
ルネ・マグリット 「赤いモデル」 1935年
(註)シューズによっては洗濯機で洗えるものもあり、裸足で履けるそうです。
フェルツマンのバッハ
私にとってグレン・グールドのバッハは、大脳をニュートラルに戻す整体の役割を果たしているのに対して、想像上の彼岸への旅を可能にしてくれるのが、ウラジーミル・フェルツマンの弾くバッハである。理知的なグールドに対して、叙情的なフェルツマン。共通項は超絶技巧のみ。この人のピアノはもはやピアノではなく、何か精神に働くスイッチのように思えてくる。人が弾いているのに天国の音楽を思わせる。神との直接対話を願ったバッハの解釈としてこのピアノはとてもありだと思うのだ。
フェルツマン、まだ聴いたことのない人はぜひ体験して欲しいと思う。
彼岸への誘いといえば「主よ、人の望みの喜びよ」
このアルバムはラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」など名曲集になっている
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フェルツマンのバッハの特長が最も出た一枚を選べといわれたらこのパルティータを推す
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レアもの自慢6:『水牛楽団』高橋悠治、他
■高橋悠治氏といえばエリック・サティだが…
高橋悠治というピアニストを知っている人には別にレアものではないだろうし、知らない人にはレアもの自慢しようがない。『水牛楽団』はそういう作品である。
高橋悠治のピアニストとしての代表作は、一連のエリック・サティの作品集だと思う。1976年から80年にかけて収録されたこのサティの作品集は、まるでその後のバブル経済を体験してきたかのように寂寥感のある爛熟味に溢れている。100年強前のフランスの文化の爛熟の中に生まれたサティの作品を高橋氏以上に現代に甦らせることができたピアニストは、私の聴く限り世界にもいないと思う(ちなみに私は高橋悠治の弾くバッハは苦手である)。とにかく心に沁みるサティの演奏である。
そんな高橋氏は、他に二つの全く異なる音楽家としての顔を持っている。一つは現代音楽の作曲家としての顔で、もう一つが水牛楽団という民衆音楽楽団の主宰者としての顔だ。
私は、現代音楽の方は不勉強で聴いてもよくわからないので、現代音楽の作品群については何も書くことができない。
■各国の民衆の抵抗歌を演奏する『水牛楽団』
水牛楽団は、1978-85年に活動していた楽団で、楽団自体はもうないが、今も水牛の名前はサイト名として生きている(suigyu 水牛)。
この水牛楽団による『水牛楽団』というアルバムは、アジアを中心とした各国の民衆の抵抗歌を、ケーナ(西沢幸彦)、タイコ(八巻美恵)、ハルモニウム(福山伊都子)、大正琴(高橋悠治)、歌(福山敦夫)で演奏したもので、サティの演奏に伺える洗練とは真逆の演奏である。
楽団名のもととなったタイの生きるための歌を代表する「人と水牛」、パレスチナの難民キャンプの子供たちが書いた願い事に曲を付けた「パレスチナの子どもの神さまへのてがみ」、1980年に金大中氏が東京で拉致されたときに現場に落ちていた手帳に書かれた文章に曲を付けた「時がくれば」など全17曲が収められている。
Youtubeで首相官邸前のデモの様子の映像を見ていたら、私の頭の中で、ふいに水牛楽団が演奏を始めたのだった。
USED品を含めamazonや楽天では取り扱いがない
水牛楽団 - CDJournal←曲名はこちらから
官邸前のデモの様子
素晴らしいサティの演奏
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教養
私には会うと必ずといっていいほど口論ないしは討論になってしまうほど、ほとんどのことについて意見の食い違う大学来のありがたい友人がいる。ありがたいというのは皮肉ではなく、主義信条は友情を左右しないということを教えてくれる文字通り有り難い存在だ。
討論になれば、当然勝った方が嬉しいが、まれに勝っても嬉しくないことがある。数年前のことだが、その彼とJRの駅でばったりいっしょになり、そのまま30分ほど電車内で話し込んだ。ちょうどその頃、お互いの子供が小学校に上がった時分で、将来子供にどんな教育を受けさせたいか、とかそういう話題になったかと思う。話はそれて、教養とは何か、ということについての議論になった。そんな議論をするつもりはまるきり無かった。
■教養は政治
彼は、教養は普遍だ、はやりすたりのある知識ではなく、普遍的な知識を子供に身につけさせたい、と言った。僕は、教養は普遍でも不変でもなく政治だ、ととっさに返していた。自分でも何でとっさにそんなことを言ったのか不思議だった。口が勝手に言ったような感じだった。
当然、彼は食ってかかってくる。法律はしょっちゅう変わる、プログラミング言語もぞくぞく新しいのが開発される。経営スタイルだって時代とともに変わっていく。だから法学や情報科学や経営学のような実学を身につけさせても、社会に出て十年もたてば時代遅れになる。その点、リベラルアーツは古くならない上に応用がきく。というようなことを言って彼は同意を求めてきた。
そうだろうか。教養は政治だよ。そんなこと考えてもいなかったのに、僕の口が勝手に反論する。例えば、明治維新の頃の教養は、四書五経だったわけだ。ところが今の時代、四書五経を唱えることができます、とか言ってみろ。変わった趣味ですねと言われるのがオチだ。そこまで時代を遡らなくてもいい。例えば僕らが中学校くらいの時は、クイーンズイングリッシュで話す人は教養がある人だと思われたじゃないか。今、クイーンズイングリッシュを使ってみろ、偏屈な奴だと思われるだけだ。時の政治バランスを忠実に反映したのが教養なんだよ。
私がそんな風に言うと、今まで意気軒昂としていた友人は、みるみるしゅんとして「ああ、教養は政治だね。」と言うではないか。僕らの討論はあっさり決着が付いた。だが、議論に勝ったはずの私は、彼以上に落ち込んでしまった。教養が政治って言うのは虚しいよなあ。これが私の気分だったが、口には出さなかった。タイミングよく電車は新宿に着いて私は彼に別れを言って駅に降りた。彼にはいつものように威勢よく反論して欲しかった。
■色即是空が効かない時代に
教養は政治かもしれない。ただ、政治は政治家の所有物ではない。僕らの考えや何気ない行動の、集積やケミストリーが政治になるのだと信じたい。だとすれば教養を作っていくのは僕たちの日常であるはずだ。新しい自由七科は何なのか。なんとか話法とポジショントークが二元論的に世の中を色分けし、日常では忖度とルサンチマンが伝言ゲームとなって拡散している。
閉塞そうに見えて閉塞ではない。僕らの言論の自由は保障されているし、官邸前でデモもできる。だが。閉塞ではない、のが問題なように思う。世の中が閉じ塞がれていることが問題ならば、開け放てば解決するはずだ。どんなに固く強く閉塞していてもそれは梃子の原理で解決できる。だが、問題は二元論なのだ。開/閉も二元論、課題/解決もその発想それ自体が二元論だ。
形而上と形而下が、精神と肉体が、彼岸と此岸が、バーチャルとリアルが、対立している時には話は今より簡単だった。二元論の世界では単純な課題/解決が有効だ。また、心理的には色即是空・空即是色の発想でジャックアウトが可能なはずだ。今やそれらは混ざり合っている。色即是空・空即是色は往復の思想だ。混ざり合い同時に存在するものを往復するには、特別の目と技術がいる。混ざり合い同時に存在するものを、使い慣れた色即是空・空即是色で解こうとするから、見ていない二元論が見えてしまう。それらを再帰的に社会に定着させるから問題がどんどん固着してしまう。すんなり色即是空・空即是色で解けないから、精神を鍛えてもすぐに精神が参ってしまう。僕たちは、目の前の現実からいったん心をそらすとき、色即是空を無意識に使うことに慣れすぎてしまっている。
無理に安直に使うから色と空とが二元論となる。二元論と結びついた空はもはや色である。しかしそれは空即是色が唱える世界観とはほど遠い。
混ざり合い同時に存在するものを往復する目と技術。それが今必要な教養だと思う。それを誰にでもわかるように体系化し、ビジネスや政治や日常の場の実践で鍛えていけるか、それが僕たちの喫緊の課題であり勝負だと思う。
ロングロウ
私が最も好きなお酒は、シングルモルトウイスキーのロングロウである。そのロングロウの10年と100プルーフが生産中止なのだそうだ。残念な限りである。
私は、シングルモルトの中でも、マッカランとかボウモアのようなほわっとした上品なものは好みでなく、シャープな感じなものが好きだ。ひたすら明るいスプリングバンクやグレンフィディック、スモーキーなラガヴーリンやアードベッグが私の中の定番である。その中でも最も好きなのが、シェリー樽フィニッシュのロングロウだ。
ロングロウはキャンベルタウンにあるスプリングバンク蒸留所で製造されている。キャンベルタウンという町が歴史の洗礼を受けているせいか、このロングロウ、ひとくち口に含んだ瞬間にイギリスの古びた港町の歴史が脳裏にフラッシュバックするような衝撃を受ける。ロングロウがキャンベルタウン製だと知る前の始めて口にしたときにそう思ったのだから、ある種のお酒は、ある種の絵画のように時空を閉じ込める芸術なのだろう。ピートの燃焼時間が55時間と全モルト中最も長いせいかもしれない。10年シェリーウッドは46度、100プルーフは57度である。最近はオーク樽で熟成されたものの方が多く出回っているが、シェリー樽熟成のものの方が、深みを感じる。
ロングロウはマイナーなレーベルの悲哀なのか、いろいろな瓶に詰められて売られているが、私が愛するのはこの細長い瓶である。
花酒
お酒は結構好きな方である。ただ、弱い酒に弱いのである。サワーはまず飲まない。ワインも相当身体の調子がよいときしか飲めない。ビールで晩酌など考えたこともない。
では、何を飲むか。シングルモルトは結構好きだ。日本のお酒では、あまり量は飲めないが、純米酒はたまに飲みたくなる。でも特に好きなのは、もっと度数の高い花酒とよばれる沖縄のお酒である。
沖縄のお酒で有名なのは泡盛で、度数45度未満でなければならない。酒類分類上は焼酎乙類だ。これに対し、花酒は、与那国島で造られる度数60度以上の泡盛だ。酒類分類上はスピリッツ類になる。与那国島では花酒は神事のときのお酒だそうで、そうめったやたらに飲むものではなさそうだ。そんなところも私が花酒を大切に思う理由の一つである。
古酒もあるがちょっと手が出ない
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