『おいしいコーヒーの真実』で知るドクターイーブルの秘密
『オースティン・パワーズ』が好きなんである。サイケでキッチュな60年代ファッションに身を包んだ登場人物が、007をはじめとしたスパイ映画へのオマージュなストーリーをおバカな台詞で構成するとてもよくできたコメディで、結局DVD-BOXまで買ってしまった。
敵役はドクター・イーブルと言うのだが、シリーズ第2作の『オースティン・パワーズ:デラックス』では、なんとスターバックスの経営者だったことが判明する。
なんで悪の親玉がスタバを経営しているのか長年の疑問だったが、まさかUPリンクのドキュメンタリームービーで知ることになろうとは。
コーヒーをめぐる現状はわかりました。ドクターイーブルの秘密もわかりました。でも、この映画、そこで思考停止していないかと思ったのも事実。
例えば、エチオピアのコーヒー農家が貧困なことはわかったが、それがなぜなのかについて経済学的あるいは政治学的に迫ることをこの映画はしない。ただ貧困や飢餓に苦しむエチオピアの様子とコーヒーを楽しむ欧米の様子が交互に映し出されるだけなのだ。
もちろんコーヒー豆の流通市場の寡占状態やNY商品取引市場の役割、WTOの欺瞞などヒントは与えられる。しかし、それらはヒントとして投げ出されるだけで手がかりの糸は映画の中では紡ぎ出されない。
自分で調べて考えろという意図があるとも思えない。なぜなら最後にフェアトレードのプロモーションがあるからだ。
フェアトレードで解決するか???
もちろん、状況はよくなるだろう。それが今のコーヒー農家を救うことはわかるし、それこそが喫緊の課題であることもわかる。
しかし、例えばドトールなどでは農場を囲い込んで豆を確保している。ドトールの農園で働く人は、映画に出てくるスタバに豆を供給する村のように飢餓状態に置かれるわけではない。この映画の延長線上だと、ドトールはフェアトレード以上の解決策のように思える。
だけど、プランテーションの構図は変わらない。それでいいのか?
市場経済の仕組みの中でコーヒー農家が報われる構造を作り出さないと、コーヒーの欺瞞の構造は終わらないのではないか??。
エチオピアのコーヒー農家がフェアトレードで得たなけなしの金額を学校を作るために費やそうとする姿を見て、グローバリズムの業の深さを思った(だって学校を優等で出た子供はグローバル経済の担い手になるわけでしょう)。
この映画は単純に反企業主義感情を喚起することを目的としているように思えるが、それではコーヒー農家の苦悩に比べてあまりに意識が低いと思う。甘い。甘すぎるブラック(ジョーク)コーヒーだ。