日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『アントマン』に父親のあるべき態度を教わる

本作を『ミクロの決死圏』の翻案くらいにしか考えてなかった私ですが、なんとなんと人生の指南書と言ってもいいくらいグッとくる作品でした。


『アントマン』日本版予告編

 

11.アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン (2015)
12.アントマン (2015)
13.シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ (2016) 

 

 <以下、ネタバレありです。ご注意!>

アントマンスーツを着れば誰でもアントマンになれる条件下で、スコット・ラングがアントマンでなくてはならない唯一性を彼個人のモチベーションに持ってきている訳だけど、それが娘の存在というところが説得力がある。

 

義賊であっても法の下には犯罪者であって、逮捕→離婚、でも年端もいかない娘はパパは悪者ではないと信じている。この設定はベタなんだけど実際に娘がいるパパにはツボだと思う。

 

そこに、スコット・ラングの理科系的な盗みの発想力と臨機応変さと運動神経のよさを叩き込んで、なるほどスコット・ラングがアントマンでなくてはならないのねとエピソードに語らせる。このあたりは映画として優等生的な作り。

 

そこに、ハンク・ピム博士の父娘の関係が多重化されて、物語の一貫性と厚みが作られている。クライムコメディと理系ネタとの対比もリズミカルで、王道の娯楽映画なんですよね。

 

この映画の白眉は、どうしても娘をアントマンにさせたくなかったピム博士が、あっさりワスプにさせちゃう転調のシーン。きっかけは、娘の恋愛シーンをうっかりのぞき見ちゃったってとこなんですがこれは素晴らしいと思いました。

 

保護すべき娘はウソをついてでも守る父親が、娘を一人の成人した女性として認めることをきっかけに、娘の自己責任自己判断を応援する守護者の立ち位置に変わる。妻を死なせたリスクを娘が取ることをためらわなくなる。保護者から守護者へと変わる父。この変化がドライで日本っぽくなくて凄くイイんです。父娘の物語が、父の子離れの物語に変化するんだ。娘を持つ父親である小生ですが、大切なことを教えられた気がしました。

 

アントマン&ワスプ (字幕版)