日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『キャプテン・マーベル』は能力社会をチキンレースから解放する処方箋だ

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』が公開間近とあって、『キャプテン・マーベル』を観に行った。


「キャプテン・マーベル」日本版本予告

 

 マーベルも『ワンダーウーマン』に対抗して女性ヒーローもの(ヒロインとすると弱々しいイメージがあるので、ここは the man ベッキー・リンチ姐さん*1に倣ってあえてヒーローと書きます)を作ったのねくらいに考えていたのだが、いい意味で裏切られた。

 

<以下、ネタバレを含みます>

 近年のハリウッド特撮は、女性ヒーローものに力を入れてきた。

 

 男ばかりが活躍する物語を、女ばかりが活躍する物語に変えて大バッシングを受けた『ゴーストバスターズ』(2016)は記憶に新しい*2が、そのあとも果敢に挑戦を続けてきた。

 『パワーレンジャー』(2017)では、恋愛シーンを取っ払ったばかりでなくイエローにLGBT代表としてレズの女性を配し、ボディースーツによる女性体形の強調から女性性を抜くという実験をやっていたし、『ワンダー・ウーマン』では男に媚びない女性の「単体の」ヒーローを誕生させ、『パシフィック・リム:アップライジング』では、大人顔負けの活躍をする女子を登場させてヒーローの年齢の裾野を広げた。

 

 それは真面目な努力の連続だった。

 

 でも、『キャプテン・マーベル』はそれらの諸作品とはヒーローのテイストが異なっている。あえて何にも考えてないかのようだ。キャプテン。マーベルはバカ強い。理屈を超えてひたすら強い。すげーーーーーーーーーーーーー強い。

 

 特撮映画黎明期に「鳥だ飛行機だ、いやスーパーマンだ」って叫んでたころのスーパーマンみたいにただただ強い。人が束になってもどころか、一国の軍隊をすべて敵に回しても、余裕で勝てると思わせる人間離れした超絶強いヒーロー、それがキャプテン・マーベルだった。

 

 今まで男が独占していた理屈抜きにバカ強いヒーローを自分に重ね合わせることが、やっと女にもできるようになった。これが『キャプテン・マーベル』の価値である。特撮好きの娘を持つ父親として、劇場で、ありがとう『キャプテン・マーベル』と叫びたくなった。

 

 女だってさ、超絶強いヒーローに自分を重ね合わせてもいいよね。空想の世界は自由だもの。私は強ーーーーーーーーーーーい。

 

  この映画は、ひたすら真面目に女性の活躍を試行錯誤してきた特撮映画とは趣向を異にし、『ワンダーウーマン』よりは『アナと雪の女王』に近いポジションを取っているのだ。

 

 『ワンダー・ウーマン』の強さは、圧倒的なものではなかった。スーパーマンとガチで闘ったら結局スーパーマンが勝つんじゃないだろうかと観ている者に思わせてしまうくらいの強さだ。とりあえず1番強そうだくらいの強さなのだ。

 1番強いとバカみたいに強いは似て非なるものなのだ。なぜなら、バカみたいに強いことは、現実社会の現実(おかしな言い方だけど)を突破できるからだ。

 実際、キャプテン・マーベルがバカみたいに強いことで、男社会の現実を浮き彫りにすることに成功している。これはワンダーウーマンができなかったことだ。

 

 観客含め、みんながキャプテン・マーベルを自然にキャプテンとして受け入れるのは、キャプテン・マーベルがバカみたいに強いからだ。ただの一番強いではこうはいかない。どこかで納得できない気持ちになっている男が出てくるはずだからだ。

 超絶バカみたいに飛び抜けて強くないと女性は男性に試されずにキャプテンとして認められないという現実、どの男よりも優秀なのにどうして女のあたしは認められないのよの隠された理由が、キャプテン・マーベルのおかげであきらかになったのだ。

 

 マーベルユニバース(『キャプテン・マーベル』や『アイアンマン』などマーベル社が提供する仮想世界)には、キャプテン・アメリカと呼ばれる男のヒーローもいるが、彼はアイアンマンと同じくらいにしか強くない並みの強さのヒーローだ。

 その彼と、バカみたいに強い『キャプテン・マーベル』とは、同じキャプテンの称号が付いている。喩えて言うならスティーブ・ジョブスがまだ生きていて女性だったとして、日本企業に就職して部長やっているようなものだ。えっ●●さんと同じ部長職?みたいな違和感がある。

 

 でも、この映画のよいところは、男社会でトップになるにはぶっちぎりの能力差を見せつけろってメッセージで終わらないところ。かつ、「やさしさ」だとか「かわいさ」だとかが関係ないところ。カワイイなんて猫に任せとけ(しかも引っ掻く)という配置は見事だ。

 

 最後、ジュード・ロウ素手でかかって来いよと挑発したところ、『レイダース』のあの名シーンのようにエネルギー砲ぶっ放して、吹き飛ばしたシーンは秀逸だ。よく考えてみれば、武器があれば、肉体的な優劣は関係ない。女性の弱さは文明社会では意味を失っていたのを男社会が隠蔽していたのがバレてしまった。隠蔽したのは昔の男だ。今の男は、この隠蔽の事実に気がつけば、約半分はそのナンセンスを取り払おうとする側につくだろう。

 

 人生は何でもありなんだ。ルールに縛られる競技じゃない。慣習的に皆が従ってきたルールの中で、たとえぶっちぎりの能力差を見せつけることができなくても、使えるものを何でも使ってぶっちぎればいいんだ。ブリコラージュで闘おう。そうすれば、男女なんて関係ない。男のルールで勝つこと強いられ、傷つきいじけている男子にも福音だ。能力社会からチキンレースの構造を抜き取ろう。

 

 『ゴーストバスターズ』(2016)は、あんなにも大バッシングされたのに、『キャプテン・マーベル』は大ヒットしたのは、本作がリメイクじゃなくて初映画化だからってばかりではないと思う。何でもありのバカ強さが(傷つきいじけた男が活躍する女を叩く、そして傷つき愛を見失った女が男という記号を叩く)世界を救う道を示したのだ。

 

 

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

 

 

*1:ベッキー・リンチはWWE所属の女子プロレスラー。あえて「男の中の男」を意味する "the MAN" を自身のニックネームとして名乗ることで、MAN という単語を男の独占から解放した。その姿勢が共感を呼び、ヒール(悪役)でありながら絶大な人気を博している。ちなみにWWEの女子プロレス部門は、ミソジニーと闘うのだとオーナー一家のステファニー・マクマホンがリング上で表明している。

*2:主要キャスト全員女性の新『ゴーストバスターズ』に非難、ハリウッド性差別問題 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News