日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

240年目の古事記伝 第二十一回 生産空間の誕生(神世七代論⑥角杙神・活杙神論)

 神世七代の組となっている後五代について、有力3学説はどれも一長一短があり決定打に欠けるため、あえてとらわれずに冒頭の文脈全体から考察していく各論の二回目です。

 前回は、神世七代としては③代目となる宇比地迩神(うひぢにの神)と須比智迩神(すひちにの神)について、二神の関係が共働神ともいえる関係にあることを書きました。

 今回は、神世七代の④代目の角杙神(つのぐひの神)と活杙神(いくぐひの神)についてです。

※本稿は、稿者独自の解釈を含んでいます。鵜呑みにせず、批判的にお読みください。今回は、ほとんど独自解釈部分ですが、根拠を示し、一方的な独自解釈の主張はしておりませんので、安心してお読みいただけます。また、稿者の解釈を採用いただける場合は、その旨ご明示いただけると幸いです。

 

■食料採取空間の誕生

 前回、宇比地迩神(うひぢにの神)・須比智迩神(すひちにの神)は、こうした一般の土地の土とは異なる農作物の生産のための土を表象する神々なのではないかと書きました。その際に縄文晩期には水田があったことを示すものとして菜畑遺跡を挙げましたが、その遺跡では居住地と水田との境界に土止めの杭列も発見されています。 

 これが、次に、誕生した④の角杙神(つのぐひの神)と活杙神(いくぐひの神)を解く鍵なのではないかと思っています。

 角はカドであり、耕作地のコーナーに立てられた境界の杙が角杙(つのぐひ)の意味するところである*1と考えれば、角杙神(つのぐひの神)は、田畑を田畑以外の土地と区分する杙の表象と考えられます。

 ③で、耕作地としての特別な土が用意され、それを受けて、その土地が特別な土地として区分されることを角杙神(つのぐひの神)が表象しているのではないでしょうか。

 

 そして、続く活杙神(いくぐひの神)ですが、この一代も独神(ひとりがみ)ではない、つまり「比較することにより意味があきらかになる神々」であるからには、角杙(つのぐひ)が区域の榜示機能としての杙の表象であるのに対して、杙の指標以外の機能の表象であるものと考えられます。

 それは、漁/猟の道具としての機能ではないでしょうか。

 

 例えば、『万葉集』第三巻264に、

もののふの八十(やそ)氏(うぢ)河(がは)の網代木(あじろぎ)に いさよふ波の行方知らずも

と詠まれているように、上代には杙に網代を魚を捕る網代漁が盛んに行われていました。

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網代木(料理旅館鮎宗のHPより)

 また、杙という漢字は、形声文字であるとともに会意文字でもあり*2、木と弋から成ります。弋には「いぐるみ」(=矢に糸や網を付けて鳥獣を射る狩猟道具で弋は弓のかたちを象形している)の意味があります。活杙(いくぐひ)は漁労だけでなく狩猟の道具をも表象している可能性が高いと思います。

 製塩もしくは塩田の塩の輸送網の発達していない初期農耕社会では、農耕の発達が狩猟を促す側面があります。「穀物性タンパク質はナトリウムがないと体内では分解しないために、穀物の消費が高まるにつれてどうしても塩分の摂取が必要になってくる。したがって製塩が未発達の段階では、塩にかわるものとして動物の「血」が必要となり、初期農耕民も狩猟によって動物の捕獲をしなければならないことになる」(『日本の初期農耕文化と社会』甲元 真之、2004年、同成社)ために、農耕の発達は狩猟の重要性を高め、両者はセットで考えられていた可能性が高いと考えられます。

 道具としても、土を整えて区画を作り田畑としたあとに必要なのは、種を撒くことであり、種を撒けば鳥類が、実りの時期になれば鳥獣類が畑を襲います。その鳥獣を狩るには狩猟道具が必要になります。

 このように漁労/狩猟の道具は、耕作地と不可分な存在です。区画された耕作地の成立を表象する角杙神(つのぐひの神)と漁労/狩猟道具を表象する活杙神(いくぐひの神)との一代は、耕作漁労狩猟を含む食料採取空間の誕生を表象しているのではないでしょうか。

 

 ■二項対立を超えて

 杙については、『古事記』下つ巻「允恭天皇(いんぎょうてんのう)」の項に、皇子の木梨軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)が、妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)との密通が露呈して伊予に流され、あとを追って来た軽大郎女(かるのおおいらつめ)と心中する前に詠んだ歌が収録されています*3

 

こもりくの 泊瀬(はつせ)の川の(山に囲まれた泊瀬の川の)

上つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち(川上の瀬に祓い清めた斎杙を打ち) 

下つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち(川下の瀬に祓い清めた真杙を打ち)

斎杙(いくひ)には 鏡を掛け

真杙(まくひ)には 真玉を掛け

真玉なす 我が思もふ妹(いも)(玉のように大事な妹で) 

鏡なす 我が思ふ妻(鏡のように清らかで美しい妻でもある人が)

有りと 言はばこそよ(いると言うのならば)

家にも行かめ 国をも偲(しの)はめ(家にも行こう、故郷をも偲ぼう)

(だが、今こうして流刑の私を追って来た妹であり妻でもある軽大郎女とともにいる。だから家に行く必要もなければ故郷を偲ぶこともない。)

古事記歌謡番号八十九〕(カッコ内は稿者訳)

 

 泊瀬川の川上と川下に杙を打ち、神事が行われていたことがこの歌からわかります。そして、この歌は、ほぼそのまま、『万葉集』に収容されてもいるのです。

こもりくの 泊瀬(はつせ)の川の(山に囲まれた泊瀬の川の)

上つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち(川上の瀬に祓い清めた斎杙を打ち) 

下つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち(川下の瀬に祓い清めた真杙を打ち)

斎杙(いくひ)には 鏡を掛け

真杙(まくひ)には 真玉を掛け

真玉なす 我が思もふ妹(いも)も(玉のように大事な妹で) 

鏡なす 我が思ふ妹(いも)も(鏡のように清らかで美しい妹が)

有りと言はばこそ(いると言うのならば)

国にも家にも行かめ(故郷にも家にも行こう)

誰(た)がゆゑか行かむ(だが、今こうして流刑の私を追って来た妹であり妻でもある軽大郎女がそばにいるのだから故郷にも家にも行く必要はない。)

万葉集巻十三「雑歌」三二六三〕(カッコ内は稿者訳)

 

 『万葉集』巻十三「挽歌」には、この歌と同じ泊瀬川を題材にした歌が収録されています。ここには神事の杙は歌われず、かわりに鵜飼の描写がなされています。神事の杙と鵜飼とが交換可能な題材になっているのです。

こもりくの 泊瀬(はつせ)の川の 

上つ瀬に 鵜を八頭潜(やつかづ)け(川上の瀬に鵜を八羽潜らせ)

下つ瀬に 鵜を八頭潜(やつかづ)け(川下の瀬に鵜を八羽潜らせ)

上つ瀬の 鮎を食はしめ(川上の瀬の鵜に鮎をくわえさせ)

下つ瀬の 鮎を食はしめ(川下の瀬の鵜に鮎をくわえさせ)

麗(くは)し妹に 鮎を惜しみ(美しい妻のために鮎を大切にする)

投(な)ぐる箭(さ、矢のこと)の 遠ざかり居て

(そんな妻なのにその妻からは遠く射る矢のように遠くに離れていて)

思ふそら 安けなくに(もの思う身もやすらかでなく)

嘆くそら 安けなくに(嘆く身もやすらかでない)

衣(きぬ)こそば それ破(や)れぬれば(衣は破れてしまっても) 

継ぎつつも またも合ふと言へ(継げばまた合わせることができ) 

玉こそは 緒の絶えぬれば(玉は通した紐が切れてしまっても) 

括りつつ またも合ふと言へ(括ればまた合わせることができる) 

またも逢はぬものは 妻にしありけり(またあうことができないものは、妻なのだ)

万葉集巻十三「挽歌」三三三〇〕(カッコ内は稿者訳)

 

 このように、神域榜示の杙は、田畑だけでなく漁労/狩猟の場にも立てられていた場合があります。

 また、二首の対比から、当時は神事の場と漁労の場が区別されていなかった可能性も考えられます。漁労用の杙の一部を神事用に用いている様が読み取れるからです。

 角杙神(つのぐひの神)と活杙神(いくぐひの神)を榜示と狩猟道具とのセットとする考えはそれほど不自然とは思えないのです。

 

日本の初期農耕文化と社会

日本の初期農耕文化と社会

 

  

万葉集 全訳注原文付(三) (講談社文庫)

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*1:『字訓』には、「杙」とは「土中に木の棒をうちこんで立てたもの。神の支配することを示す榜示とすることがある。」とある

*2:新漢和大字典 普及版 (一般向辞典)』(藤堂明保)や『新訂 字訓』(白川静)等による

*3:古事記』の歌謡は、すべて音を漢字に当てて記述されており、杙は「久比」と記されている