日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

240年目の古事記伝 第十三回 神々のバリエーション(常立神論②)

別天つ神(ことあまつかみ)のラストを飾る神は、天之常立神(あめのとこたちの神)です。これは、見方を変えれば、 天之常立神(あめのとこたちの神)の誕生によって別天つ神(ことあまつかみ)の世界に終止符が打たれたのだと解釈することができます。

 

■境界の神

古事記』では、天之常立神(あめのとこたちの神)までの神々を別天つ神(ことあまつかみ)としてまとめ区切り、後の神々(天つ神と国つ神)から区別しています。

別天つ神は天つ神から見れば「別の」天つ神ですが、別天つ神の側から見れば、天つ神は、国つ神と同じく別天つ神(ことあまつかみ)以外の神々ということになります。

 一般には、天つ神と国つ神とは対立する神々とされていますが、『古事記』ではそのような単純な見方をしていません。天つ神と国つ神の協調があり、天つ神どうし国つ神どうしの対立や相剋のエピソードもたくさんあります。

天つ神と国つ神は、二元論的な対置関係にはないのです。古事記は、二元論とは無縁です。だからこそ、別天つ神(ことあまつかみ)は、「別」天つ神という呼び名でありながらも、天つ神と国つ神とを分け隔てせず、その双方に対峙しているのです。

 

そして、天之常立神(あめのとこたちの神)は、別天つ神(ことあまつかみ)の世界を閉じる存在です。

 

高天原に、天を属性とする生命創造の場の壮大な立ち現れを象徴する巨神=天之常立神(あめのとこたちの神)が誕生し、その出現によって天之御中主神(あめのみなかぬしの神)までの神々が、別天つ神(ことあまつかみ)として区切られることになりました。

 

天之常立神(あめのとこたちの神)は、世界の縁に立つ境界の神だと言えるでしょう。

 

■神々のバリエーション

 天之常立神(あめのとこたちの神)の次には、国之常立神(くにのとこたちの神)が誕生します。常立神(とこたちの神)のバリエーションの登場です。

 

 同種の神のバリエーションとしては、産巣日神(むすひの神)がありました。高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)です。ところが、常立神(とこたちの神)のバリエーションは、量と質の両面で、産巣日神(むすひの神)のバリエーションとは大きな違いがあります。

 

 まず、量の面ですが、バリエーションの数が異なります。産巣日神(むすひの神)のバリエーションは豊富です。『古事記』では、既に高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)が誕生してきたのを見てきましたが、この他に、後に和久産巣日神(わくむすひの神)が誕生します。また、『古事記』以外をみてみると、『延喜式』には、玉積産巣日神(たまつめむすひの神)と生産巣日神(いくむすひの神)と足産巣日神(たるむすひの神)の三柱の産巣日神(むすひの神)が、高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)とともに天皇守護の八神の神々として登場します*1

 

 一方、『古事記』に登場してくる常立神(とこたちの神)は、天之常立神(あめのとこたちの神)と国之常立神(くにのとこたちの神)の二柱以外にありません。

古事記』以外をみてみると、『日本書紀』では、二柱どころか、国之常立神(くにのとこたちの神)に相当する国常立尊(くにのとこたちのみこと)の一柱しか登場しません。

 

 このバリエーションの数の差は、質の違いに起因するものと思われます。

 

「X+産巣日神(むすひの神)」のXは、産巣日神(むすひの神)の能力のありさまを規定する変数になっています*2。だからこそ、様々に異なる産巣日神(むすひの神)が存在します。むすひの能力は様々だからです。

 これに対して、「Y+常立神(とこたちの神)」のYは、常立神(とこたちの神)の属性を示す変数です。「天の」も「国の」も、常立神(とこたちの神)そのものの性質や能力を形容する言葉(接頭辞)ではありません。大阪に住んでいるAさんが、大阪のAさんと呼ばれているとして、Aさんが東京に引っ越ししたら、Aさんの本質には全く変わりがないのに、東京のAさんと呼ばれるようなものです。

  極端に言えば、属性(Y)が何であっても、常立神(とこたちの神)が示すものは一つです。Yが変わっても常立神(とこたちの神)の能力や形態は変わりません。属性の違いのみが常立神(とこたちの神)を区別する唯一の違いとされているのです。

 Yが属性を示す変数であることは、Yの数を規定します。先のAさんの例で言えば、Yが都道府県であればその数は47に限られます。もちろん、東京のAさん、日本のAさん、アジアのAさん、地球のAさん、渋谷区のAさん、神宮前二丁目のAさん、というふうに、次元(ディメンジョン)をずらしていけば、Yの数は無限に発散していきますが、文脈で次元(ディメンジョン)がある程度規定されるために、Yの数は限定されるのです。Aさんは東京のAさんだっけ大阪のAさんだっけ、という話のときに、いや神宮前二丁目のAさんだよという会話は普通はしないのは、会話は文脈に依存するからです。これは物語や神話の場合も同じです。そうでなければ読み手が混乱してしまい、意味を伝えることができません*3

 

 常立神(とこたちの神)のYの数は、『古事記』では2つです。これは、天に相当するものが天を含め2つしかないことを表しています。もしくは天に相当するものの中から1つが選ばれたことを意味します。

 注意すべきは、天之常立神(あめのとこたちの神)に対峙しているのが、国之常立神(くにのとこたちの神)だということです。

 『古事記』の書き出しは、「天地初発」でした。本来、「天」に対置するのは「地」であったはずなのです。ところが、天之常立神(あめのとこたちの神)の次に誕生した神の名は、地之常立神(ちのとこたちの神)ではなく、国之常立神(くにのとこたちの神)でした。我々には、このことに込められた『古事記』のメッセージを、きちんとそしてしっかりと受けとめる必要があるのです。(つづく)

 

延喜式 (上) (訳注日本史料)

延喜式 (上) (訳注日本史料)

 
延喜式(中) (訳注日本史料)

延喜式(中) (訳注日本史料)

 
延喜式(下) (訳注日本史料)

延喜式(下) (訳注日本史料)

 

 

 

*1:八神のうち残る三神は、大宮売神(おおみやのめの神)、 御食津神(みけつ神)、事代主神(ことしろぬしの神)です。

*2:240年目の古事記伝 第九回 世界の創造と神の主体性(産巣日神論③) - 日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)を参照のこと

*3:会話や文章のテクニックとしてあえて文脈を逸脱させることはありますが、この場合は話し手や書き手には聞き手や読み手を着地させる文脈が見えているのであり、この場合でも脈絡無く文脈が逸脱されるのではありません。アウトサイダーアート的な一部の芸術はこの限りではありませんが、その場合はそもそも文脈自体を重視していませんので、本稿の分析から除外しても影響はありません。