日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

240年目の古事記伝 第十一回 肉体を持たないジェンダー(宇摩志阿斯訶備比古遅神論②)

天地初発の時に天之御中主神(あめのみなかぬしの神)、高御産巣日神(たかみむすひの神)、神産巣日神(かみむすひの神)の三神が誕生したのちまだ水に覆われた状態である地を、やがて生まれくる神々が住まう場所にしようという動きがはじまります

そんな、未来の神々の住まう場所が検討されはじめたばかりで、国をどこにしようかあてどなく水面を探し求めている時に、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)が誕生します。

 

⑤次に、国わかく浮けるあぶらのごとくしてクラゲなすただよえる時に、葦牙(あしかび)のごとく萌えあがれるものに因(よ)りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯可備比古遅神(うましあしかびひこじの神)

 

■男子の名を持つ非男性神

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)の神名は、いささか長いのですが、宇摩志(うまし)+阿斯訶備(あしかび)+比古遅(ひこじ)+神(の神)と要素に分解することができます。

宇摩志(うまし)はすばらしいという意味の接頭語で、阿斯訶備(あしかび)は葦牙(あしかび)、比古(ひこ)は男子を表し、遅(じ)はその尊称の接尾語です。つまり、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)とは、「すばらしい葦牙(あしかび)のような男子の神」という意味になります。

何か葦牙(あしかび)のように萌えあがるものに起因して誕生した神ですから、神名が「宇摩志阿斯訶備(うましあしかび)=すばらしい葦牙(あしかび)のような」となるのは理解できます。問題は、神名の後半部分の解釈です。

「比古遅神(ひこじの神)」つまり「男子の神」という神名ですが、この神は通常の意味での男性神ではありません。何よりこの神は独神(ひとりがみ)です。男女となることを運命づけられていない性別を超越した神であり、他の神との関係性で語られるべきではない神なのです。通常の意味での男性神は、どうしても女性神との関係が生じてしまいます。それは、独神(ひとりがみ)であることと矛盾します。

また、神々にジェンダーがはっきりするのは、神代七代からです。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)は、「男子の神」という名を持つ、非男性神なのです。

 

■比古は単なる男ではない

 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)は、産巣日神(むすひの神)の次に誕生した神です。宇摩志阿斯訶備(うましあしかび)+比古遅神(ひこじの神)と産巣(むす)+日神(ひの神)は、抽象度を同じくする神であると考えられます。
「日神(ひの神)」は、「単純に太陽そのものを表象するのではなく、「天」や「月」、あるいは「天帝=北極星」をも含む、あるいはそのどれとも代替可能なまたそれ以外をも含む、創造に関わる天の神であり天のすべての光の神」*1でした。

同様の抽象度で、「比古遅神(ひこじの神)」を考えなければ、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)は理解できないのです。

男女の形態を視野の外に置いて男性を見るならば、そこには一人の人間があらわれてきます。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)は、やがて「地」に誕生する人間を先取りしたヒトの雛形たる神でなのです。

さて、ここで二つの疑問が生じるかと思います。

一つは、ヒトの雛形たる神の名に、なぜ特定の性別の属性を持たせたのかということ。もう一つは、それが、なぜ女性ではなく男性の属性だったのかということです。

一つめの疑問に対しては、例えば両性具有の神や性別を持たない神ではヒトの雛形にはならないからだと考えます。人間は男女どちらかの肉体を持つ存在です。たとえ独神(ひとりがみ)として性別を超越した独立した神だったとしても、それがヒトの雛形たる神なのであれば、男女どちらかを選ばなければならなかったのでしょう。

ヒトが男女二択の存在であるがゆえに、ヒトの雛形たる神も男女どちらかの名前とする必要があったのだと思われます。

ヒコの原義は日子です。これは日の神である巣日神(むすひの神)の次に誕生する神の名にふさわしいといえるのではないでしょうか。

 

■ヒメではない理由

ふたつめの疑問について、宇摩志阿斯訶備(ウマシアシカビ)が日女(ヒメ)の神であった場合を想定してみましょう。

前述したように『古事記』の葦牙(あしかび)は、『日本書紀』の葦牙(あしかび)とちがってカタチの比喩ではないので、生えてくる葦牙(あしかび)を男性性器になぞらえる必要はありません。この点では、日女(ヒメ)の神であっても支障ありません。

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)は、独神(ひとりがみ)つまり。男女となることを運命づけられていない性別を超越した神ですから、ヒコという男子名は男子の肉体的特徴を表しているのではありません。

男子から肉体的特徴を取り去れば、そこには機能あるいは記号としての男性が浮かびあがります。男性の機能あるいは記号とは、女性が生命を産む契機となる役割です。

ヒコは、他者に生命を産ませる性を象徴しています。

ヒメはその反対です。ヒメは自らが産む性です。そして、自らに生命を産ませしめる他の存在を受け入れる存在でもあります。

天にヒトの雛形としての女性神が誕生すれば、それは天以外から何ものかを受け入れることを天に運命づけることになり、また、それによって天に生命があふれていくことを意味します。

それでは、天は豊かになっても、未来永劫に地に生命が宿りません。

古事記』が紡いだ物語はそうではありません。『古事記』の語る天は生命の誕生を待たなくても満ち足りており、天は天以外を必要としない存在です。

そして、やがて展開する豊饒なる大地の物語のためにも、天に成ったヒトの雛形はヒコである必要があったのです。

これが、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)がヒコの名を持っている理由だと思われます。

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじの神)が男性神の神名を持つことは、男性優位の思想ではありません。この神が、神々が性別を持つ以前に登場した独神(ひとりがみ)であることをよく考えれば、それは誤解であることが明らかです。

我々はこの神に、ジェンダー論ではなく、性別のある肉体を取り去ってなおある性について、思いを馳せるべきなのです。その思考は、やがて来るシンギュラリティーへの思考の助走*2にもなるのではないでしょうか。

 

 

*1:240年目の古事記伝 第八回 複数の太陽神(産巣日神論②) - 日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)参照

*2:シンギュラリティー以降は、無機物と性が問題になると思われる。そのことは、これまでは、例えば『攻殻機動隊』のようなSF作品を入り口にすることもできたが、筆者も真正面から論じては来なかった(『攻殻機動隊2.0』に想う機械の身体とジェンダー - 日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ))し、筆者以外もそうであったように思われる。