日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

240年目の古事記伝 第七回 複数の太陽神(産巣日神論②)

 天之御中主神(あめのみなかぬしの神)が、特定の場所、高天原に誕生したことによって、日本以外の神話に見られるような、特定の神を頂点としたピラミッド的な秩序や、一神を中心とした放射状の曼陀羅構造ではなく、高天原に次々に誕生する神々が等しく中心の神々となるような世界が創造されていくことが決定づけられました。

 天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の次には、高御産巣日神(たかみむすひの神)、その次に神産巣日神(かみむすひの神)」が誕生します。この二柱は、神名の後半部分が共通しています。

※本稿は、稿者独自の解釈を含んでいます。鵜呑みにせず、批判的にお読みください。ただし、独自解釈部分にはその根拠を示し、定説もできる限りご紹介しています。一方的な独自解釈の主張はしておりませんので、安心してお読みいただけます。また、稿者の解釈を採用いただける場合は、その旨ご明示いただけると幸いです。

 

■産巣日(ムスヒ)は日ノ神

 産巣日(むすひ)は、「ムス(産巣)」+「ヒ(日)」です。折口信夫はむすひの語源を「結び」に求めましたが、音韻学的にムスヒはムスビでないことが証明されており、明瞭に否定された学説となっています。

 もっとも、昨今でも「結び」と神道を結びつけたエピソードを核にした『君の名は。』のようなアニメ*1が作られ大ヒットするなど、いまだにその影響力は大きいのが困ったところではあります。

 話をもどして、産巣日(むすひ)の産巣(むす)は、「苔のむすまで」の「むす」で、「生成される」という意味です。「ヒ(日)」は、太陽神であることを意味します。そして『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(溝口睦子、岩波新書)によれば、その太陽神は単純な太陽神ではありません。「北方ユーラシアに起源を持つ太陽神は、同時に天帝でもあり、またときには日月とも言い換えられる、ある意味では、観念的な性格をもった神であった」のです。

 同書の産巣日の解釈は明確です。従来の『日本書紀』の皇巣霊(ミムスヒ)に該当することから*2、「ムスヒ(産巣日)」の「ヒ(日)」は「霊(ヒ)」の意味であり、産巣日は太陽神ではなく霊力神なのだとする見方について、「ヒ=日=霊」としてしまうと、産巣日神(むすひの神)の「日」と「神」とが意味の上でかぶってしまうとして否定しています。

 全ての神には霊力があるのですから、わざわざ神名に霊力をあらわす文字をいれて「産巣日神」としなくても、「産巣神」でよいはずだという主張です。確かに、霊力神という存在を認めてしまうことは、霊力の無い神がいると主張しているのと変わりありません。それは神の否定であり、『古事記』の記述にふさわしくありません。

 

■なぜ複数の太陽神が登場するのか

 太陽神と言えば天照大御神なので、太陽はひとつなのに、産巣日神(むすひの神)も太陽神であるのは、いくつも太陽神があることになっておかしいのではないかという疑問もあるかもしれません。

 しかしながら、産巣日神(むすひの神)が太陽の抽象神、天照大御神が太陽の具体神の関係にあると考えれば不思議ではありません。両者は共存できるからです。

 例えば、カラスの神がいることは、鳥の神がいることを否定する理由にはなりません。カラス=太陽、鳥=日という対応で考えてみれば、具体的な太陽そのものを表象した天照大御神の存在は、太陽の抽象神である産巣日神(むすひの神)の存在を否定することにはなりません。

 産巣日神(むすひの神)は、単純に太陽そのものを表象するのではなく、「天」や「月」、あるいは「天帝=北極星」をも含む、あるいはそのどれとも代替可能なまたそれ以外をも含む、創造に関わる天の神であり天のすべての光の神です。太陽的なものという抽象の表象であるとともに、同じ抽象概念を持つ複数の具体物を自由に表象する非常に高度な抽象性を持った太陽神です。

 ここで、産巣日神(むすひの神)の表象について整理すると、

 a.具体物としての太陽を表象する

 b.抽象として太陽の機能を表象する(天の中心、最も明るい等)

 c.抽象化された太陽の機能を担う他の具体的な存在を表象する(北極星等)

 d.具体物としての太陽が存在しない空間での代替物を表象する(月、北極星等)

 e.a〜dすべてを包括する概念を表象する(天帝等)

の5つがあることがわかります。産巣日神(むすひの神)はそのいずれかを表象する存在であり、またいずれをも表象する存在でもあるのです。

 

 カラスと鳥との関係に比べて、太陽と日との対応関係がわかりにくいのは、現代の日本では、北ユーラシア由来の抽象的な産巣日神(むすひの神)が表象するような「日」という概念が失われているからです。また、「抽象の表象であるとともに、同じ抽象概念を持つ複数の具体物を自由に表象する非常に高度な抽象」思考も、ほぼ我々の日常の思考からは失われています。

 これは大変残念なことです。社会人類学博士の宮永國子氏は、近代英語は、抽象と具体を往復することが容易になるよう文法が整備されており、それがグローバル社会での米国の強さの秘訣であることを解き明かしています*3

 いまの日本こそ産巣日神(むすひの神)を必要としているのかもしれません。

 

■独神が理解の鍵

 産巣日神(むすひの神)と天照大御神が抽象と具体の関係にあるために、太陽神が複数あるのだと述べました。では、日をあらわす抽象神が、高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)の二柱あるのはなぜでしょうか。

 高御産巣日神(たかみむすひの神)は皇室系で、神産巣日神(かみむすひの神)で出雲系だから二柱あるのだというのでは答えになりません。皇室も出雲も拝していた天体としての太陽は同じからです。それに、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)の表象する中心という概念にも太陽が含まれますから、造化の三神はすべて日の神だと言うこともできます。こうなると皇室と出雲の二項対立は意味を持ちません。

 

 『古事記』は稗田阿礼(ひえだのあれ)の口述をまとめたという体裁を取っています。アタマから読んで、意味がわかりにくい記述のあとには、その意味を解説する内容が記述されていると考えるのが自然です。

 高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)は、天之御中主神とあわせて、独神(ひとりがみ)としてまとめられています。複数の抽象的な日ノ神をどのように捉えるべきなのかについては、独神(ひとりがみ)が指針になるはずです。

 

 独神(ひとりがみ)の指す意味については、ある程度の幅はあるものの研究者の間で、一定の合意があります。

 西郷信綱は、『古事記注釈』で「後に出てくる男女対偶の神にたいし単独の神をいう」としています。

 岩波文庫の『古事記』(倉野憲司)も、角川ソフィア文庫の『古事記』(中村啓信)も同様の解釈です。講談社学術文庫の『古事記』(次田真幸)には、「配偶神や系譜関係を持たない単独の神をいう」とあり、戸籍的な関係での孤立性が強調されていますが、異性のパートナーがいない神という解釈は同じです。

 神野志隆光は、「ウイヂニ・スイチニ以下の「双神」が「国」をつくることをになうべき男女神としてのイザナギイザナミの身体形成の過程をあらわすのに対して、そうした性を有したレベルでなりたつ「身」において役割をはたすのではないことを標示するというべき」(『古事記注解2』p.35)としています。男女の性別が出来るのはイザナギイザナミからなのだからと、それ以前の神々に男女の概念を持ち込むことを否定している点は注目すべき解釈だと思いますが、独神(ひとりがみ)の解釈をウイヂニ・スイチニ以下イザナギイザナミに至る男女ペアの神々との対立概念としている点では他の研究者と同じです。

 このように独神(ひとりがみ)は、男女ペアの神々の対立概念として解釈されています。しかし、この解釈では、太陽を表象する複数神が存在することの説明材料にはなりません。研究者たちがこれまで見落としていたことがあるのだと思われます。

 

■独神は男女の対義語ではない

 独神(ひとりがみ)の対義語であるはずの男女ペアの神々のことを、西郷は「男女対偶の神」、次田は「配偶神」、神野志は「双神」とバラバラに呼んでいます。これは『古事記』では、男女ペアの神々の呼び方を特に呼称していないためです。『古事記』で規定していないものに対して、その対立概念として独神(ひとりがみ)を据えることは不自然だと考えます。

 『古事記』冒頭の記述の最後を飾るイザナギイザナミが双神(配偶神)であり、この二神が国生みを行うという『古事記』最初のビッグエピソードを担うことから考えれば、もし、独神(ひとりがみ)が双神(配偶神)の対義語であるならば、独神(ひとりがみ)に双神(配偶神)を基準にした説明がないことは不自然です。

 「この三柱の神は、みな双神とは成らず独神(ひとりがみ)と成り」ではなく、単に「この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成り」と書かれていることは、独神(ひとりがみ)は、双神(配偶神)の対義語ではないことを示しているからだと思われます。

 

 独神(ひとりがみ)の理解を進めるために、天地初発から書き始められる233文字全体をひとつの表にして見てみましょう。

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 ■表3.神々全体像

 ウイヂニ・スイチニ以下イザナギイザナミに至る男女ペアの神々の「特徴」の欄”だけ”が空欄になっているがわかります。これはつまり、イザナギイザナミ以降にもそのカテゴリが開かれていることを意味します。独神(ひとりがみ)は、男女ペアの神々に対してだけでなく、以降のすべての神々との対立概念として捉えるべきなのです。

 天地初発のときに誕生した神が天之御中主神だけでなく以降の神々にもあてはまり、高天原に誕生した神が高御産巣日神以降も続くように、『古事記』、少なくとも『古事記』冒頭の233文字は、神々の意味ごとのまとまりの初めと終わりを明確に記述しています。同様に、この「空欄」は、イザナギイザナミ以降の神々にもあてはまる「空欄」です。ウイヂニ・スイチニ以下イザナギイザナミに至る男女ペアの神々をまとめる言葉が『古事記』に無いことは、独神(ひとりがみ)を男女ペアの神々を含むイザナギイザナミ以降のすべての神々との対比で理解しなければならないことを示しているのです。

 

■比類なき神

 その意味で、次田の「系譜関係を持たない単独の神」という指摘は参考になります。ウイヂニ・スイチニ以下に登場する『古事記』の神々は、すべて他の神々との関係性において語られるからです。次田は「配偶神や系譜関係を持たない単独の神」と「配偶神」を持ち出すことで戸籍的な関係での孤立性を重視していますが、これは『古事記』は天皇の系譜を示した書であるという意識が強く出すぎたものと思われます*4

 前述のとおり、独神(ひとりがみ)の対立概念は双神(配偶神)なのではありません。その他もろもろ関係性において語られる神に対する独神(ひとりがみ)なのですから、独神(ひとりがみ)とは比類無き神、比べて理解してはいけない神、他の神との関係性で語られるべきではない神なのだといえるでしょう。

 ただし、神野志の、独神(ひとりがみ)は「性を有したレベルでなりたつ「身」において役割をはたすのではないことを標示する」という解釈とも、観点が異なるので両立は可能です。ダブルミーニングである可能性は高いと思います。

 つまり、独神(ひとりがみ)とは、他の神との関係性で語られるべきではない神であって、性別概念のない神なのです。

 

■関係させずに理解せよ

 このように理解すれば、高御産巣日神(たかみむすひの神)と神産巣日神(かみむすひの神)の二柱の日の神が存在することは、矛盾無く受け入れることができます。独神(ひとりがみ)は、その神を他の神とはまったく別ものとして関係させずに理解せよということを標示しているからです。それゆえ、独神(ひとりがみ)の記述は、④⑦⑪と三度も繰り返されているのでしょう。

 ④は二柱の産巣日神の誕生の直後に、⑦は二柱の常立神(とこたちの神)の誕生を挟み込む位置に、⑪は独神(ひとりがみ)としての最後の神が誕生した直後という、「標示」に気をつける場所に置かれています。これは、天地初発から書き始められる233文字全体において、独神(ひとりがみ)だけが持つ配置です。「別天神」も「神代七代」も示されるのはその意味まとまりの最後の一度きりです。独神(ひとりがみ)が、神々の性質をあらわす用語であるだけでなく、解釈における標示でもあるからこそ、それが必要な箇所すべてに配置されているのだと思われます。

【別天つ神A】
①天地はじめて発(あら)わしし時に、高天原に成りませる神の名は天之御中主神(あめのみなかぬしの神)
②次に、高御産巣日神(たかみむすひの神)
③次に、神産巣日神(かむむすひの神)
この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成り、坐(い)まして、身を隠しき

 

【別天つ神B】
⑤次に、国わかく浮けるあぶらのごとくしてクラゲなすただよえる時に、葦牙(あしかび)のごとく萌えあがれるものによりて成りませる神の名は、宇摩志阿斯可備比古遅神(うましあしかびひこじの神)
⑥次に、天之常立神(あめのとこたちの神)
この二柱の神はまた独神(ひとりがみ)と成り、坐(い)まして、身を隠しき
上のくだりの五柱の神は、別天神(ことあまつかみ)

 

神世七代A】
⑨次に成りませる神の名は、国之常立神(くにのとこたちの神)
⑩次に、豊雲野神(とよくものの神)
この二柱の神はまた独神(ひとりがみ)と成り、坐(い)まして、身を隠しき

 

神世七代B】
⑫次に成りませる神の名は、宇比地邇神(うひじにの神)。次に妹(いも)須比智邇神(すひちにの神)。
⑬次に、角杙神(つのぐひの神)。次に妹活杙神(いくぐひの神)。
⑭次に、意富斗能地神(おほとのぢの神)。次に、妹大斗乃辨神(おほとのべの神)。 
⑮次に、於母陀流神(おもだるの神)。次に、妹阿夜訶志古泥神(あやかしこねの神)
⑯次に、伊邪那岐神(いざなぎの神)。次に、妹伊邪那美神(いざなみの神)。 
上のくだりの自国之常立神以下伊邪那美神以前は、あわせて神世七代(かみよななよ)という。

 (つづく)

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古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)

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*1:『君の名は。』は思想したか - 日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

*2:「一書に曰はく」に「また曰はく」として登場する

*3:『とつせん会社が英語になったら…』武田ランダムハウスジャパンp.201

*4:『三大考』が念頭にあった可能性もある。