日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『ブレードランナー2049』の限界と矛盾

★★★

ブレードランナー2049』は『ブレードランナー』の続編として完璧だった。ストーリー以外は。(以下ネタバレあり)


映画『ブレードランナー2049』日本版予告編

 

完璧な部分については讃辞を惜しまない。美術、音響、演出、演技…。『ブレードランナー』の世界観そのままに現代の映像技術を使ってそれ以上の映像美を堪能した。

だが、ストーリーはいただけない。それはデッカードレプリカントかどうかに起因する。

 

今作もまた、デッカードレプリカントかどうかについては両論あることを承知している。製作総指揮のリドリー・スコットレプリカントであると明言し、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは決めていないと名言している*1*2

 

映画を素直に観ればデッカードレプリカントであるようには見えない。レプリカントも人間のように老いるのだとしたらデッカードの他に老いゆくレプリカントの描写がなければ映画として不親切だろう。

 

前作『ブレードランナー』では、デッカードレプリカントかどうかは作品の価値には関係なかった。どちらでもよかったし、謎のままでもよかった。事実、劇場公開版、ワークプリント、完全版、最終版、ファイナルカット版のどれかでその答えが違っていた。

ところが、『ブレードランナー2049』では、デッカードレプリカントかどうかは作品の根幹に関わる大問題になってしまう。そこが大きな問題だと思う。

 

まず、リドリー・スコットの言うようにデッカードレプリカントだった場合。彼は、レイチェル同様に生殖機能を持ったネクサス6型のスペシャルバージョン(ネクサス7型!!)だったことになる。

ではなぜレイチェルとデッカードは4年の寿命を持たなかったのか。まさか子育てさせるため???

だが、タイレル社が生殖と子育てをセットに考えていたとすれば、記憶を埋め込んでまでレプリカントを人間の奴隷にしようとしていたことと矛盾してしまわないだろうか。

ありのままの記憶を持ったレプリカントの子供たちは、やがて人間に叛旗をひるがえすだろうことは容易に予想がつく。事実、レイチェルとデッカードは逃亡しているのだ。

矛盾しないとすれば、タイレル社がレプリカントを生殖と子育てによって奴隷解放を目論んでいたことになるが、だとすればそれが挫折して生殖機能を持たない長寿命型のネクサス8型に至った物語(『ブレードランナー ブラックアウト2022』の前日譚)こそ描かれるべき『ブレードランナー』の正しい続編ということになる。つまり、デッカードレプリカントだった場合、『ブレードランナー2049』はその存在意義を失う。

 


【渡辺信一郎監督による前奏アニメ解禁!】「ブレードランナー ブラックアウト 2022」

 

では、デッカードが人間だった場合はどうなるだろうか。この場合には『ブレードランナー2049』は異類婚姻譚になる。

 異類婚姻譚として『ブレードランナー2049』を見てみよう。生殖機能を持ったレプリカントはFemale型のみである。Male型で生殖機能を持ったレプリカントは、何らかの技術的理由で製造されていない。とにかく世の中に存在しないし、それは非常に難しいという設定である。そしてその難しさはレプリカントにも共有されている。だからレイチェルの子どもの存在が貴重であることを登場人物の誰もが否定しない。そういう設定だからだ。

 

レプリカントの男女ともに生殖機能を持っているなら、既にたくさんのレプリカントの子どもが生まれているはずだ。レイチェルの子どもの存在が貴重であるということは、そうでないという設定のはずだ。Kはジョイと恋愛している。レプリカント間の恋愛も自由だろう。しかしレプリカントの子どもが溢れていないのは、レプリカントMale型に生殖機能がないと考えないと説明がつかない。

 

一方、人間とレプリカントFemale型との異種交配による子どもが溢れていない理由は機能以外に求めることが可能である。レプリカントは人間に従属する存在である。つまり人間の男とレプリカントFemale型との生殖行為は、かなり頻繁に行われているはずである。この状況下で、レイチェルの子どもの存在が貴重であるというのは、レプリカントFemale型と人間との異種交配の極度の稀少さは、極度の社会的な抑圧に起因するとしか説明できない。だからこそのレプリカント解放運動なのだ。これなら筋が通る。

 

また、もう一つの可能性として、もしネクサス9Female型にも生殖機能がなく、レイチェルのみが有していた特別機能だった場合を考えてみよう。この場合はレプリカントの反乱は奴隷解放につながらない。レプリカントは解放されても子どもができないからだ。レイチェルの子どもの存在はレプリカントにとっての奇跡にならないのだ。だから、ネクサス9Female型にはすべからく生殖機能が備わっているし(成功率には触れない)それをレプリカントも自覚していることになる。

 

つまり、レプリカントが自然繁殖するためには人間のオスとの異種交配しかないことになるが、これではレプリカント反乱軍が人間と暴力的に敵対する意味が通らなくなる。レプリカントには、人間のオスと恋愛し交配するかまたは人間のオスを種馬とする必然性があるからだ。

ここで百歩譲って、最初に暴力的に反乱して、あとから適当に繁殖のために人間のオスを捕まえてくる戦略だと仮定しよう。レプリカントのFemale型にとってレプリカントのMale型の存在意義はなんだろうか。また、奴隷解放後に用済みとなる論理的帰結を持ったレプリカントのMale型の自己肯定の問題はどうなるのだろうか。人間側にも反乱軍側にも属する理由がないではないか。『ブレードランナー2049』ではそこは描かれない。

 

ということは、デッカードが人間だった場合、レプリカントはけっこうバカだということになる。『ブレードランナー2049』はバカのレプリカントの物語になってしまう。

おおよそ軍を率いる能力を持っているとは思えないアナ・ステリン博士を反乱軍のトップに据えようとするのはバカだから?

反乱軍のフレイザが前述の問題があるのにあんなセリフでKをリクルートしようとしたのはバカだから?

レプリカントが己のアイデンティティを自己の記憶にばかり求めるのもバカだから?

 

だとすれば、人間が生み出したのは人間と同じようなものだということになる。それは私にはあまり面白い話だとは思えない。神に劣った被造物である人間が、神が行わなかった自分超えの被造物を創造するというせっかくのキリスト教の枠組みを超えた物語の誕生にはならないからだ。

 

ブレードランナー2049』は雰囲気美人型で中身のない空気人形のような作品であった。それはレプリカント未満なのではないだろうか。

 

結論。リドリー・スコットの息子にして『2036』『2048』のルーク・スコット監督が、ネクサス7の物語を撮るべき。バティスタ(サッパー)を話の軸にして。以上。

続編で僕が一番好きなのは『2048』。バティスタ(バウティスタ)最高!


【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」

 

もちろん『2036』あっての『2048』ではあるんですが。


【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2036:ネクサス・ドーン」