日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』で矢作俊彦氏が見過ごしたこと

キャプテンアメリカの第1作を見直した。


映画『キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー』予告編

 

アベンジャーズ』の前日譚も担っている本作だが、その『アベンジャーズ』のキャッチコピーは、「日本人よ、これが映画だ」で、作家の矢作俊彦などがこれに噛みついたことは(僕の)記憶に新しい。

 

矢作氏twitter曰く、

「アメ公に『日本よ』『これが映画だ』などと言われて心底不快。絶対この映画だけは見ないと心に決めた。なんだ、バカヤロ。一回かそこら戦争に勝ったからって。」

「しかも、その映画の主人公が『キャプテンアメリカ』だ。7、80年前、君たちのおじいさんやひいおじいさんを無残に殺して勝ち誇ってた野郎だぞ。」

確かに、『アベンジャーズ』のキャッチコピーはなんだかなあとは思ったよ。不快であることにも同意する。だが、代理店がスベったキャッチコピーを付けてしまったからと言って、未見で批判するのはいかがなものか。

原作漫画の『キャプテンアメリカ』は枢軸国と闘うが、『のらくろ』だって同じようなものだ。はっきり言って昭和の遺物である。

本作は、初期コミック版の設定を根本から覆す設定変更がされている。

例えば、本作からのキャプテンアメリカは、矢作氏の念頭にあると思われる初期原作コミック設定のアメリカ軍の先兵からは脱却している。ナチスを殺したいのかと問われて、誰も殺したくないが悪を許すことはできないと答える男になっている。敵はナチスをも攻撃対象に考えている。敵も設定変更されているのである。

この映画の良いところは、この台詞のやりとりの描写が、少年漫画っぽい正義のヒーロー誕生になっていないこと。くさくない描写によって、キャプテンアメリカは合衆国が正義の闘いをしていると信じられる限り合衆国を背負って闘うという「合衆国の正義」を一歩引いた見方で観る視点を映画を観ている側にさりげなく提供することに成功している。上手いのだ。そしてその視点は次作以降のストーリーのキーになっている。上手すぎる。

矢作氏は本作も観ていないのだろう。キャプテンが米軍捕虜を救出する場面で、日本人らしき捕虜に出会う場面がある。こいつも助けるのかとキャプテンが言うと、日本人らしき捕虜は、俺はフレズノ(大戦中に日系米国人収容所があった場所)から来たと返す。するとキャプテンは特にリアクションもなく全捕虜を同様に助け出し、その日系人は後にキャプテンから声をかけられキャプテンの私設精鋭部隊の一人となる( "What, are we taking everybody?" "I'm from Fresno.")。「フレズノ」と言わせるシーンをわざわざ入れてるんですよ。この映画を観た少なからぬ米国人の若い観客はフレズノの歴史や日系人との関係について調べたでしょう。マーベルはあの戦争をファンタジーにして忘却する気はないんだよ。そこは認めようよ、映画は観てから文句言おうよ矢作さん!

少なくとも気持ちの悪い日本の愛国戦争映画(どれとは言わない)よりはよっぽど大人の映画だと思ったね。右も左もそろそろ大人にならないと、それこそ英霊たちに申し訳ないんじゃないのかな。

 

 

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