読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゲイと日本とLGBT

このごろLGBTっていう言葉をたまに耳にするようになったわね。L・G・B・T。

レズビアン・ゲイ・バイセクシャルトランスジェンダーのことよ。

要は性的マイノリティーのことをもっとよくわかってね、ってこと。

 

最近ではジョブスのあとにAppleのCEOになったティム・クックが、私はゲイよ、ってカミングアウトしてアメリカで大ニュースになったと聞いたわ。ニューヨークタイムズ紙は、カミングアウトの翌日に、1面とビジネス面で大特集を組んだそうよ。

 

 

ところが同じニュースが日本ではほとんど取り上げられなかったので、それを嘆く記事が書かれていたわ。私が読んだのは牧野洋っていうジャーナリストのコラム『現代ビジネス』「アップルCEOの歴史的カミングアウトをベタ記事扱いにした全国紙のニュース感覚」なんだけど、「(このニュースが)日本の全国紙ではほとんど無視されているというのは、同質的・閉鎖的な環境に慣らされた編集幹部のニュース感覚がガラパゴス化しているからではないか。」って手厳しかったわ(牧野氏の記事)

 

実は私はこのニュース、たまたまつけたTVのニュース番組で知ったの。

日本人のレポーターがアメリカの識者に「日本は欧米に比べてLGBTへの理解が低いと言われています。日本がLGBTに対して開かれていくにはどうしたらよいでしょうか。」と訊ねていたわ。このレポーターの問題意識は、批判的なコラムを書いた牧野氏と同じよね。

 

興味深かったのは、この質問に対するアメリカの識者の答えよ。

「日本ではトランスジェンダーのタレントがゴールデンの時間帯にTVに出て、老若男女に幅広く人気があります。私の知る限りそのような国は欧米にはありません。日本はLGBTの先進国だと思います。」って答えてたの。あらまあなんてこと言うの。これではレポーターは立つ瀬無いわね。どう返すのかしらって興味津々でTVに見入っていたのに、番組はレポーターに返さずにそのままスタジオに繋ないじゃって次のニュースに移っちゃったわ。放送時間の関係もあったのかもしれないけど、ちょっとつまんなかったわね。

 

まあ、とにかく、日本のマスコミにはLGBTについて日本は遅れているという認識があるのに対し、欧米では逆に日本をLGBTの先進国だと認識しているという構図があることは興味深いわね。でもね、一見矛盾しているようだけど、私は両方の言い分とも正しいと思うわよ。

 

だって、例えば一昨年からNHK紅白歌合戦に、かの美輪明宏様が出ていらっしゃって、毎年の大晦日に美声を全国に届けているじゃない。初出場のときの『ヨイトマケの唄』なんてアタシ聞きながら号泣したわよ。

 

世の中にも美輪様のこの歌に涙した人がいっぱいいたって話題になってた。国民の大半が、男も女も超越した美輪様の歌で心の汚れを洗い流して一年を締めくくる国よ、米国の識者が日本はLGBTの先進国だと思うのも当然だと思うわ。

 

それに、特別な日じゃなくったって、TVをつけたらマツコが舌鋒鋭く活躍してない日はないくらいでしょ。人気が高いからTVに出続けられてるわけで、それって、ゲイタレントの芸を日常的に楽しんでいる日本人は、少数派なんかじゃなくて多数派だってことよね。素晴らしいことだわ。

 

でもね、もちろん真逆のこともあるわよ。

 

2012年5月にオバマ大統領が同性婚への支持を表明したのね。アメリカではすっごい話題になったの。日本ではそれほどでもなかったけど。

 

で、同じ頃、正確にはその一年半前に、当時の東京都知事石原慎太郎が、LGBTの権利擁護団体から抗議を受けたのよ。

 

なんかのときの会見で、「ゲイのパレードをみましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と発言したのが、その抗議の原因なの。

 

「足りない」ってレズやゲイの数が足りないってことじゃないわよ。おつむが足りないってニュアンスで言ったんだから、どっちがって話しよ。でも問題は、この発言によって石原都知事の責任問題に発展したり、その支持率が急落したという事実がなかったってことよ。

 

そりゃあ、あの石原氏だからそのぐらい言いそうってバカの私でも予想はつくわよ。世間一般にも石原氏はアタマの堅い保守派というキャラクターが広く浸透していて(私は本当の保守は違うと思うけどそれはここでは言わないわ)、この発言も想定の範囲内であるために驚きも怒りも呼び起こさなかった、彼ならしょうがないか、あるいは、また言ってるわぐらいに捉えられたために責任問題に発展したり、支持率が急落したりしなかったってことでしょうよ。

 

でもね、じゃあ、例えば、日本の首相が外圧によらず自主的に公に同性婚への支持を表明する姿を想像できるかってことよ。まあ想像つかないわね。日本をLGBT後進国と捉える考えにもうなずいてしまうわ。

 

思うに、米国が目指しているLGBTの権利や社会的地位の獲得運動と、日本におけるいわゆるオネエ系タレントに代表されるゲイのメディアでの市民権の獲得具合は、どこか根本的な違いがあるのよ。

 

言ってみれば、米国ではLGBTが同性愛の開放運動としての側面が強いのに対して、日本のオネエ系タレントは男性でも女性でもない第三の性として受け入れられているという側面が強いと思うの。

 

数年前の夏、代々木公園であからさまな女性走りをしている男性を見かけたことがあるわ。ジョギングなんだけど、まるで舞台俳優が劇場の後ろの席の観客にもわかりやすく演じるかのようにオーバーアクションで女性走りしているのよ。ゲイが女走りするにしても普通はあそこまで大げさにシナをつくって走ったりしないわね。私、思わず目を留めてしまったわ。

 

でね、見ていると、その男性はジョギングコースの途中にある屋外トイレの前を通り抜け、少し行ったところで引き返してきたの。彼、もよおしてたのね。

 

それで女性トイレに入ろうとし、中に入っていこうかというところで躊躇し、思い切りシナをつくって、今度は男性トイレの方に入っていこうとしたの。で、また中に入っていこうかというところで身をよじり、また女性トイレの方に向かったの。

 

葛藤よね。でも、もよおしてるんだから早く決めないといけない。それなのに彼、確かこの所作を三回ほど繰り返してたと思う。

 

どうしちゃうのかしら、もらしちゃうのかしら、って私ハラハラしながら見てたわ。そしたら、彼、急に毅然となって女性トイレと男性トイレの真ん中に位置していた障害者用トイレに入っていったじゃない。やられたって感じよ!!

 

私としたことが、女性トイレと男性トイレに気を取られていて、真ん中にもトイレがあったのに目に入っていなかったのね。彼は第三の選択肢を選択したのよ。

 

もう、このパフォーマンスがあまりに劇的だったので、私はギャラリーを意識しての行為なのかもしれないわって思って、そのとき周りを見回したわ。でも周りにはTVカメラはおろか私の他には誰もいなかった。

 

私のその時の立っていた位置からして、その彼は、私が見ていることに気づいていなかったことは確実よ。気づいていたなら、そのパフォーマンスは少なからず私のいる方向を意識して振り付けられたと思うのだけれどそれはなかった。

 

彼は、自分を納得させるためにそのパフォーマンスを必要としていたんだわ。オーバーアクションは人に見せるための理由じゃなくて、葛藤の全身での表現だったのね。

 

普段はそんなこと意識してなかったけど、日本ではゲイの自己認識として、自分は第三の性の人間なんだっていう意識が強いことに、彼によってあらためて気づかされたわ。

 

日本は同性愛者の市民権という意味ではまだまだ後進国で、一方、第三の性がゲイの自意識も含めて市民権を得ているっていうところが、欧米からはLGBTの先進国に見えるということなのかもしれないわね。

 

ただ、第三の性が市民権を得ているっていっても、それがパフォーマンス込みの市民権であることは強調しておかなければいけないわ。

 

ゲイはタレントや街場のパフォーマーばかりではないもの。パフォーマンスなんてしない、できない、したくないって思ってるゲイも多いわ。そういう普通の所作のゲイが、第三の性の人たちとして市民権を得られているかって言えば、まだまだだと思うのよ。

 

それに、パフォーマンスがいらないほどの成熟した世の中になったら、第三の性を選ばず、女として生きるわっていうゲイも多くなるでしょうね。

 

未来には、女を選んだゲイと第三の性を選んだゲイとが手を携えてほほえむ日が来なくちゃいけない。そのような日が来たときこそ、誰しもが胸を張って日本はLGBTの先進国なのよって世界に宣言できるんだと思うわ。

 

日本で第三の性が(パフォーマンス込みであるけれど)ある程度の市民権を得ているのはなぜなのかしら、ということについては、そのうち真剣に考えてみるわね。

 

それと、LGBTの話題を出しながらレズビアンについて書いていなかったわね。こちらについては、よくわからないの。ごめんなさい。他の人が書いたものをお読みになってくださいね。

 

 

---以下標準語での書き直し----

 

LGBTとはレズビアン・ゲイ・バイセクシャル両性愛者)・トランスジェンダー性同一性障害者)の略称で、同性愛的な性的マイノリティーを指す。

スティーブ・ジョブズの次にAppleのCEOとなったティム・クックが、今年2014年10月30日に同性愛者であることをビジネスウィーク誌への寄稿の中で明らかにし、米国で勇気ある発言として大きなニュースになったそうだ。

 

ニューヨークタイムズ紙は翌31日に1面とビジネス面で大特集を組んだらしい。 同じニュースが日本では、 朝日、読売、毎日の三大紙が小さな囲みのベタ記事で、それに対し、日本はLGBTについて理解が低いとの批判記事も出回った(例えば『現代ビジネス』11/07「アップルCEOの歴史的カミングアウトをベタ記事扱いにした全国紙のニュース感覚」)。米国ではマイノリティとしてのLGBTの権利や社会的地位に対する意識が高く、それに比べて日本は意識が低いというのが批判記事の筆者の意識だ。

その日、たまたま私が見たTVのニュースでは、日本人のレポーターがこのニュースを取り上げ、アメリカの識者に

「日本は欧米に比べてLGBTへの理解が低いと言われています。日本がLGBTに対して開かれていくにはどうしたらよいでしょうか。」

と訊ねていた。このレポーターの問題意識は、批判記事の筆者と同じ立場に立っている。

ところがインタビューされた識者は、レポーターとは問題意識を共有してしておらず、「日本ではトランスジェンダーのタレントがゴールデンの時間帯にTVに出て、老若男女に幅広く人気があります。私の知る限りそのような国は欧米にはありません。日本はLGBTの先進国だと思います。」というようなことを答えていた。

レポーターは肩すかしをくったと思うが、番組はレポーターを映さずそのままスタジオに繋ぎ、次のニュースに移ってしまった。

 日本のマスコミにはLGBTについて日本は遅れているという認識があるのに対し、欧米では逆に日本をLGBTの先進国だと認識しているという構図である。これは捻れというか矛盾した状況だ。

だが、私は、日本をLGBT後進国と捉えた批判記事の記者やニュース番組のレポーターの感覚もわかるし、日本をLGBTの先進国であると捉えた米国の識者の意見にも同意する。そして思うのだが、この両方わかるという感じは、私だけでなく広く日本の人に共通した感覚なのではないだろうか。

確かに、私も、大晦日のNHK紅白歌合戦美輪明宏の美声に聞き入って一年を終え、普段のバラエティ番組ではマツコ・デラックスの舌鋒の鋭さに溜飲を下げる、そんな日本人のひとりであるし、そうしたゲイタレントの芸を日常的に楽しんでいる日本人はマイノリティではなくマジョリティである。人気が高いから彼らは起用され続けるのだ。米国の識者が日本はLGBTの先進国だと思うのも無理がない。

だが、逆の思いを裏付ける出来事もある。

2012年5月にオバマ大統領が同性婚への支持を表明している。これに対し、日本ではその約一年半前に石原慎太郎東京都知事(当時)がLGBTの権利擁護団体から抗議を受けている。 「ゲイのパレードをみましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と発言したのが、その抗議の原因なのだが、この発言によって石原都知事の責任問題に発展したり、その支持率が急落したという事実はない。

もっとも、石原氏はアタマの堅い保守というキャラクターが広く浸透しており、この発言も想定の範囲内であるために驚きも怒りも呼び起こさなかったということかもしれない。だが、例えば、日本の首相が外圧によらず自主的に公に同性婚への支持を表明する姿は想像しにくい。日本をLGBT後進国と捉える考えにも頷いてしまう。

米国が目指しているLGBTの権利や社会的地位の獲得運動と、日本におけるいわゆるオネエ系タレントに代表されるゲイのメディアでの市民権の獲得具合は、何か根本的な違いがあるように思う。

 米国ではLGBTが同性愛の開放運動としての側面が強いのに対して、日本のオネエ系タレントは男性でも女性でもない第三の性として受け入れられているという側面が強いのではないだろうか。

 

数年前の夏、代々木公園であからさまな女性走りをしている男性を見かけたことがある。

ジョギングをしているのだが、まるで舞台俳優が劇場の後ろの席の観客にもわかりやすく演じるかのようにオーバーアクションでしなをつくって走っていたために、私は思わず目を留めてしまった。その男性はジョギングコースの途中にある屋外トイレの前を通り抜け、少し行ったところで引き返してきた。そして女性トイレに入ろうとし、中に入ろうとして躊躇し、思い切りしなをつくって今度は男性トイレの方に入ろうとする。

そしてまた中に入ろうとしたところで身をよじり、今度はまた女性トイレに入ろうとする。この所作を三回ほど繰り返したところで意を決し、女性トイレと男性トイレの真ん中に位置していた障害者用トイレに入っていった。 このパフォーマンスがあまりに劇的だったので、私はギャラリーを意識しての行為なのだろうと思って周りを見回したが、周りには私の他には誰もいなかった。私はトイレからは離れたところにいたために、そのトイレに入った男性は私に気づいていなかったはずだ。気づいていたのならそのパフォーマンスは少なからず私のいる方向を意識して振り付けられていただろう。 

彼は、自分を納得させるためにそのパフォーマンスを必要としていたのだ。

 

日本ではゲイの自己認識として、自分は第三の性の人間なのだという意識が強いのではないか。 日本は同性愛者の市民権という意味ではまだまだ後進国であり、第三の性が市民権を得ているという意味で先進国に見えるということなのかもしれない。 そして一つ補足しなければならないことは、第三の性が市民権を得ているといっても、それがパフォーマンス込みの市民権であることだ。タレントや街のパフォーマーではない普通の所作の第三の性の人たちが、普通に市民権を得ているとは言いがたい。そのような日が来たならば、誰しもが胸を張って日本はLGBTの先進国であると世界に宣言できるだろう。