日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『偉大なる、しゅららぼん』と京都と福井

★★★★

全く期待せずに見たら期待に反してひどく面白かった。もっと多くの人に見られてよい作品だと思う。ただ、惜しい原作の設定からの改変がありました。(以下ネタバレあり)


『偉大なる、しゅららぼん』予告編

 

 棗(なつめ)の母の出身地が福井から京都になっている。恐らく、関西を舞台にした映画で、わかりやすいイコンとして京都が採用されたのだと思う。東京の人は、福井県が関西文化圏って言われてもピンとこないのでそれを恐れたのかもしれない(でも福井って京都の隣県だし関西電力原発は全部福井の若狭湾にある)。で、何が問題かと言うと…。

この物語の舞台は琵琶湖にある竹生島です。そんで日出(ひので)家と対立するのが棗(なつめ)家なわけですが、日の出の反対は日の入。竹生島の神社と言えば都久夫須麻神社で、そこから見て、夏の目の日つまり夏至の日(「台風の目」のように目は中心を指す言葉でもあります。夏の中心の日は夏至です)に日が入るのが福井県の常神半島なのです(これは関西在住の神社仏閣めぐりが趣味の人にはわりと知られた話しです)。つまり、日の出に対抗する力を補給するために棗家は福井から嫁さんを迎えてきたという設定になってたと思うんです。そんな感じで万城目原作にはいろいろと小ネタもぶっこまれているのですが、福井ネタは拾って欲しかったな。京都だと湖南を想定させてしまって竹生島の設定が生かされない。

ま、でもそれはささいなことと言えばささいなことなので、映画的には満足です。濱田岳笹野高史をはじめとする俳優陣の演技力とキャスティングの的確さ、ロケ地の力でまるでリアルでない話にリアリティーが生まれています。この映画を見ることができた縁に感謝します。

それと、「しゅららぼん」の意味は劇中に語られるのですが、私は「修羅たちのぼんぼん」の意味もあるのではないかと勝手にかんぐっています。

 

偉大なる、しゅららぼん
 
偉大なる、しゅららぼん (集英社文庫)

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