日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

教養


私には会うと必ずといっていいほど口論ないしは討論になってしまうほど、ほとんどのことについて意見の食い違う大学来のありがたい友人がいる。ありがたいというのは皮肉ではなく、主義信条は友情を左右しないということを教えてくれる文字通り有り難い存在だ。


討論になれば、当然勝った方が嬉しいが、まれに勝っても嬉しくないことがある。数年前のことだが、その彼とJRの駅でばったりいっしょになり、そのまま30分ほど電車内で話し込んだ。ちょうどその頃、お互いの子供が小学校に上がった時分で、将来子供にどんな教育を受けさせたいか、とかそういう話題になったかと思う。話はそれて、教養とは何か、ということについての議論になった。そんな議論をするつもりはまるきり無かった。


■教養は政治
彼は、教養は普遍だ、はやりすたりのある知識ではなく、普遍的な知識を子供に身につけさせたい、と言った。僕は、教養は普遍でも不変でもなく政治だ、ととっさに返していた。自分でも何でとっさにそんなことを言ったのか不思議だった。口が勝手に言ったような感じだった。


当然、彼は食ってかかってくる。法律はしょっちゅう変わる、プログラミング言語もぞくぞく新しいのが開発される。経営スタイルだって時代とともに変わっていく。だから法学や情報科学経営学のような実学を身につけさせても、社会に出て十年もたてば時代遅れになる。その点、リベラルアーツは古くならない上に応用がきく。というようなことを言って彼は同意を求めてきた。


そうだろうか。教養は政治だよ。そんなこと考えてもいなかったのに、僕の口が勝手に反論する。例えば、明治維新の頃の教養は、四書五経だったわけだ。ところが今の時代、四書五経を唱えることができます、とか言ってみろ。変わった趣味ですねと言われるのがオチだ。そこまで時代を遡らなくてもいい。例えば僕らが中学校くらいの時は、クイーンズイングリッシュで話す人は教養がある人だと思われたじゃないか。今、クイーンズイングリッシュを使ってみろ、偏屈な奴だと思われるだけだ。時の政治バランスを忠実に反映したのが教養なんだよ。


私がそんな風に言うと、今まで意気軒昂としていた友人は、みるみるしゅんとして「ああ、教養は政治だね。」と言うではないか。僕らの討論はあっさり決着が付いた。だが、議論に勝ったはずの私は、彼以上に落ち込んでしまった。教養が政治って言うのは虚しいよなあ。これが私の気分だったが、口には出さなかった。タイミングよく電車は新宿に着いて私は彼に別れを言って駅に降りた。彼にはいつものように威勢よく反論して欲しかった。


■色即是空が効かない時代に
教養は政治かもしれない。ただ、政治は政治家の所有物ではない。僕らの考えや何気ない行動の、集積やケミストリーが政治になるのだと信じたい。だとすれば教養を作っていくのは僕たちの日常であるはずだ。新しい自由七科は何なのか。なんとか話法とポジショントーク二元論的に世の中を色分けし、日常では忖度とルサンチマンが伝言ゲームとなって拡散している。


閉塞そうに見えて閉塞ではない。僕らの言論の自由は保障されているし、官邸前でデモもできる。だが。閉塞ではない、のが問題なように思う。世の中が閉じ塞がれていることが問題ならば、開け放てば解決するはずだ。どんなに固く強く閉塞していてもそれは梃子の原理で解決できる。だが、問題は二元論なのだ。開/閉も二元論、課題/解決もその発想それ自体が二元論だ。


形而上と形而下が、精神と肉体が、彼岸と此岸が、バーチャルとリアルが、対立している時には話は今より簡単だった。二元論の世界では単純な課題/解決が有効だ。また、心理的には色即是空・空即是色の発想でジャックアウトが可能なはずだ。今やそれらは混ざり合っている。色即是空・空即是色は往復の思想だ。混ざり合い同時に存在するものを往復するには、特別の目と技術がいる。混ざり合い同時に存在するものを、使い慣れた色即是空・空即是色で解こうとするから、見ていない二元論が見えてしまう。それらを再帰的に社会に定着させるから問題がどんどん固着してしまう。すんなり色即是空・空即是色で解けないから、精神を鍛えてもすぐに精神が参ってしまう。僕たちは、目の前の現実からいったん心をそらすとき、色即是空を無意識に使うことに慣れすぎてしまっている。


無理に安直に使うから色と空とが二元論となる。二元論と結びついた空はもはや色である。しかしそれは空即是色が唱える世界観とはほど遠い。


混ざり合い同時に存在するものを往復する目と技術。それが今必要な教養だと思う。それを誰にでもわかるように体系化し、ビジネスや政治や日常の場の実践で鍛えていけるか、それが僕たちの喫緊の課題であり勝負だと思う。