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式年遷宮と原発


原発を40年で廃炉にする方向で原子炉等規制法が改正される見込みだそうだ。原発の寿命を初めて法律で定めることになる。ただし、例外として、電力事業者から運転延長の申請があり、問題がないと判断された場合に限って運転を認めることになるという。これに関して、運用によっては形骸化する恐れもあることも指摘されている(http://mytown.asahi.com/shimane/news.php?k_id=33000001201070003)。


これまでは、運転開始から30年経った原発は、10年ごとの国の審査で問題がないと判断されない限り継続使用ができなかったわけで、30年が40年になった分、運用次第では規制緩和となる恐れもあると思う。実際、福島の事故では、審査の指摘にもかかわらず原発の延命が決定された可能性があることが海外では報じられている(http://www.nytimes.com/2011/03/22/world/asia/22nuclear.html?_r=1&src=tptw)。


この際、もう一歩踏み込んで例外を認めず、30年経った原発廃炉にすると制度化してしまってはどうだろうか。稼働して20年経ったら次世代の原発の検討を始め、30年経ったら隣接する敷地で次世代原発を稼働させ、これを30年ごとに繰り返す。


折しも今年2012年は、伊勢神宮式年遷宮の年である。式年遷宮とは、定められた年に神社の正殿等を新たに建立し御神体を遷すことをいい、伊勢神宮では20年ごとに行われている。これにより、建物の老朽化対策と、神社という特殊な建物の造営技術の伝承などの意義があるという。


これは原発の造営にぴったりではないかと思っている。老朽化した原発は危険であるし、事故が起こった際に設計や造営に携わった技術者が高齢のため第一線で事故対策の指揮を執れなくなってしまうのは問題だ。また、技術革新を促すためにも意図的な陳腐化が有効なように思う。それに30年で廃炉にすることを法制化することで、廃炉の費用も含めてトータルコストとする発想が制度化される。トータルコストが明らかになれば代替エネルギーとのコスト比較も容易になる。さらに、30年のうち10年間を廃止に向けた手続きと次世代の設計期間とののりしろ期間として国民的な議論ができたらよい。原発のように壊滅的な事故が懸念される技術の場合、新しい技術が本当に安全なのかを吟味することはとても大切なことだと思うからだ。先ほど「稼働して20年経ったら次世代の原発の検討を始め、30年経ったら隣接する敷地で次世代原発を稼働させ、これを30年ごとに繰り返す。」と書いたが、もちろん新技術について安全性が証明できず、国民的な合意ができなければ新設はされず、古い原子炉の廃炉だけが実行される。


ただし、国民的な議論が感情論で終始しないよう、中等教育の改変は必要になってくるだろう。今の高校物理ではニュートン力学までしか学習しない。原子力物理どころか相対性理論も学ばない。相対性理論なんて夏目漱石の時代に提唱された理論である。明治の文語文で国語の教材にしてもいいくらいだ。近代物理は中学までで終わらせて、高校になったらせめて第二次世界大戦以前の現代物理まではカリキュラムに組み込みたい。中学校レベルでは、理論は難しいので知識で現代を教えたらいい。例えば、家庭科の授業を基礎家庭科と危機管理家庭科に分け、調理術とか洋裁とかは基礎家庭科で、内部被曝食物連鎖での大型魚による水銀摂取のリスク、遺伝子作物のリスクなどは危機管理家庭科で教えればよい。リスクを避ける技術とリスクを踏まえて自覚的に利便性を享受する自由、拒否する自由も合わせて教えたらよい。それらの判断は個人の責任だということも。


福島第一の不幸な事故で、老朽化した軽水炉は危険なことはわかったが、例えばビルゲイツ氏などが支持している高圧ガス炉は危険なのか比較的安全なのか、個々人が判断基準を持たない中で、原発の可否を決める国民投票をしても意味がない(ただし国民投票を実現するための署名には賛同しています)。ここで日本人が先に進むことが、311を経た私たちに課された課題なのだと私は思っている。


参考:
http://www.isejingu.or.jp/shikinensengu/
/ WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com