嫌いだった村上春樹を読んでいる

村上春樹のことはずっと、男が都合良く女とセックスする水戸黄門的マンネリ小説だと思って嫌っていた。本当の女を書けない小説なんてとね。でも最近、村上春樹を読んでいる。僕の読み方が変わったのだ。


その昔、立花隆東スポの政治欄を高く評価していた。一般紙誌に載せられないような真実のネタは東スポが拾うのだと。プロレスファンだった僕は、それ以来東スポの政治欄は「しっかりと」読むことにした。立花隆をどのように評価するかは別な話として。


言いたいことはこういうことだ。村上春樹の小説は東スポのようにも読める。都合良く女とセックスできることが活字で書かれているのは東スポのエロページと同じ。すぐに手に入るセックスが気に入らなければ流し読みすればよい。SFだったりアクションだったりの物語は、あれはプロレス記事だ。料理を食べる描写?競馬記事みたいなもんだろう。


村上春樹の小説の要は東京の地名である。中沢新一は『アースダイバー』を書いたが、身体におもりをくくりつけられた都市生活者は、ダイブしたら上がってこれない。アースダイブができるのは、心身時間とも相当余裕のあるときに限られる。何かに追われる毎日の僕たちは、苦しくても泳ぎ続けるしかないのだ。素潜りであれば水中は無音で思考にはふさわしいが、泳ぎながら思考するには無意識での思考が必要だ。無意識での思考は、意識での思考につないでやらねば意味をなさない。アーススイマーが自分の無意識の思考を意識の思考につなげるとき、灯台の灯りがあったとしたらどんなにか心強いことか。今は、村上春樹に感謝しながらその小説を読んでいる。あいかわらずその都合良くセックスに至る設定と内的世界で終わってしまう物語の決着のつけ方は、あまり趣味ではないけれど。それでも『世界の終わり〜』以降の作品は、工夫があると思うからだ。『ノルウェイの森』以前の作品は今も苦手だけどね。


海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)