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誠実性のパラドクス

組織での仕事には「誠実性のパラドクス」とでもいう現象があると思う。仕事のプレッシャーがあまりに大きいと、目の前の仕事に誠実になるあまり、状況が見えなくなって、目標にも会社にも顧客にも不誠実なアウトプットを生み出し続けることになる。現実逃避のために社員自らが進んで考えぬ歯車になる。


沖縄の民族舞踊であるエイサーには、一糸乱れぬ踊り手の中を、酔八仙拳のようにふらふらと縫うように入っていき、聴衆に笑いをとりながら踊り手のリズムをチェックして、踊り手の統制をとりながら踊りにダイナミズムを与えるオケの指揮者とピエロを兼ねたチョンダラーという役がある。一番の達人のみがチョンダラーとなることができる。


エイサー型の組織は「誠実性のパラドクス」にはまらない。チョンダラーがそれを見過ごさないからだ。そしてチョンダラーがいるということは組織の文化に「誠実性のパラドクス」を許さない智慧が埋め込まれているということだ。


だが、いきなりリーダーがチョンダラーになってもメンバーもその上の上司も理解できない。文化としての積み重ねがないからだ。ここに管理型の大企業の組織の弱点がある。昔の日本型組織では、そういうことがなんとなく集団の知恵としてわかっていて、カリスマ型の中間管理職がチョンダラーをやっていた。だが、今はカリスマ型の管理職というのは非常に出づらい環境にある。評価も「誠実性のパラドクス」にはまっているのである。


実はTVのバラエティ番組がつまらなくなったのも、マーケットの反応(視聴者の声とか反応とか)を見過ぎて「誠実性のパラドクス」にはまったからではないかとにらんでいる。そんなTVの世界で自らの人生を賭してチョンダラーを生きているおねえ系タレントが救世主として活躍しているのだ。今、日本企業に一番必要なのはグローバル人材よりもおねえ系中間管理職である。半分真面目にそんなことを考えている。