日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『ソーシャル・ネットワーク』は燃える集団だったのか

ちょっと前に会社の同僚と映画『ソーシャル・ネットワーク』を見に行った。とても楽しんだけれど、映画全体の感想はいろいろなところでいろいろな人が書いているので(実は私もcinemascapeに書き込んでいる*1)、最も印象に残ったエピソードについて書く。


映画『ソーシャル・ネットワーク』予告編

強烈に印象に残っているのは、マーク・ザッカーバーグが立ち上げ時のCFOである友人のエドゥアルド・サベリンを切り捨て、ナップスターの創設者であるショーン・パーカーをパートナーに選ぶシーンだ。自らがほとんど身銭を切ってFacebookを立ち上げたのに、当初まったく収益を上げていないFacebookをなんとか黒字化させようとエドゥアルドはNYで地道に広告集めに奔走する。それに対しマークは広告はcoolじゃないと主張し、パロアルトに住むかねてからあこがれだったショーンに惹かれていく。ショーンは投資家から巨額の融資を引き出して一気にFacebookの財務を強化しようとする。


映画ではここの描かれ方が秀逸だった。なかなか成果があがらない中をあきらめずに広告主探しに必死なエドゥアルドと、レイブパーティーのシーンなどを挟みながら女の子たちと常にイイことしながらcoolにビッグビジネスを考えるショーンの対比は、学生的なきまじめさと実業家の大胆さ、といった対比を超えて、線形でビジネスを考えることと非線形で成長を考えることとの対比を、現代版アリとキリギリスなビジュアルで鮮やかに見る者に印象づける。


結局、二回目の増資の際に、マークはエドゥアルドを切り捨てるのだが、映画を見た人はほとんどがこの結末を必然だと思ったと思う。マークとエドゥアルドは見ていた世界が違っていたからだ。つくづく人は、一つの世界にしか生きられない生き物なのだな、と思う。


企業やスポーツでは、勝つためには目標に向かってチームメンバーの心を一つに、といったようなことが言われる。ルールが決まっていて、モチベーションが外から管理できる場合はそれでいいだろう。だが、世の中にまったく新しいものを新たに作っていこうとするとき、海図は心の底から湧き出るモチベーション以外にない。見ている世界が違えば、当然見ている海図は異なる。海図が違えば同じ宝の島には向かうことができない。さすれば、見ている世界を同じくするものどうしが組むより成功への解がないことになる。


大企業はここが難しい。まず、プロジェクトのメンバーは、リーダーであっても100%自由にできるわけではないことがほとんどだからだ。もちろん、これまでの経歴で特技やノリが似たメンバーが集まってくることはあるかと思う。が、それ以上に異質な才を組み込まなければビッグプロジェクトは組み上がらない。異質な才は往々にして異質な世界を見ていたりする。私が糊口をしのいでいるSIの世界では、プロジェクトリーダーに求められる才能は、一に調整能力、二にメンバーをその気にさせる力だったりするのである。マジで。


そうした外からのモチベーションで真にクリエイティブな仕事をしようとすれば、いきおいメンバーのアドレナリンをドバドバ出させて一種の陶酔状態でリーダーが引っ張るハイテンション型のチーム運営にならざるをえないが、これはやっぱり社内の理解を得にくい。これまでPLとしてずいぶんこうした仕事回しをしてきてしまったので、実感をこめてそう言い切れる。


こうしたハイテンションプロジェクトは、オリジナリティーにあふれたハイクオリティなアウトプットを生み出すことができるので、顧客の信頼は勝ち得ることができるし、同じ修羅場をくぐり抜けた戦友としてメンバーともプロジェクトが解散してからも一生のつきあいができる。一見いいことづくめのようだが、社内の全然関係のない人からとってみれば、異様な近寄りがたい集団に見えてしまう。本人たちは、歯を食いしばって必死の思いで仕事をしているのに、そのハイテンションゆえに、社内からは、楽しそうな仕事に恵まれていていいね、などと言われ、孤立してしまう。まるで社内カルトだ。


その昔、ソニーAIBOを作った「燃える集団」が次第に社内に居場所がなくなってしまった話を読んだことがあるが(『運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章』天外伺朗=土井利忠)、経営者層のほとんどがハイテンションプロジェクトでの成功体験を経験していなければ、それはそうなってしまうだろうな、と今は思える。カルトは異端以上にはなれないのだ。


これから大企業で真にクリエイティブな仕事をする場合は、見ている世界が同じものどうしで組ませ、分社化してリスクを取らせて好きにやらせ、彼らを送り出した親会社は投資会社の心づもりで成果を回収する、そんなスタイルがいいと思う。そうでなければ、そのプロジェクトはたとえ目覚ましいアウトプットの創出に成功したとしても会社の柱にはなれないし、そうなる前にメンバー間のいざこざが起きて尖った人材がこぼれ落ちていってしまうかもしれない。