『キック・アス』、夢見る時代は過ぎて。
映画は、現実以上に現実を現す。特撮ヒーロー物から超現実を取り除いた本作は、痛くて苦くてキッチュでスピード感溢れる「現実」の戯画となった。
特撮に夢を見る時代は過ぎてしまったのか。そうかもしれない。
世界を守るスーパーヒーローよりは一つの街を守るスーパーヒーローの方がリアリティのある映画ができた(スーパーマンとバットマンが念頭にあり)。そして、守るべき何ものもないただ復讐鬼たるヒーロー(ヒロイン)像を設定したとき、リアリティはリアル=現実の一線を越えてしまったように思う。
映画ファンなら誰しも、この映画が数多くのこれまでの映画へのオマージュでできていることを指摘したくなると思う。そのことが本作を娯楽作品として佳作たらしめているとも思う。しかし、本作は単なる娯楽作を越えている。キル・ビルにはなかったリアルが本作にはあるからだ。
残虐シーンの数々も、大量破壊兵器によらず敵を倒すってこういうことを引き受けることだよねってメッセージに思えてくる。そして何よりグッとくるのは、ゆがんだ親娘愛だ。とっても卑近な例だけど、公教育にも塾通いにも疑問を感じ、現代を生きぬく様を週末に小3の息子に教え込む自分には、ビッグダディを笑えないし非難もできない!
リビア内戦の報を受けて、己の信じるもののために殺人を続ける隣人への愛について、また、こんな時代の子供への教育について、思わず考えこんでしまった。
(2011.3.4 池袋テアトルダイヤにて鑑賞)