日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

帽子の法則

「帽子の法則」とは、次のようなものだ。

帽子の法則(第一の法則):人は、自然状態では、自分と同じ社会階層と認識している人に対してのみコミュニケーションを図ろうとする。
帽子の法則(第二の法則):人は、自分と同じ社会階層と認識している人のうち、自分の持たざる物を持つ者に対して強い羨望を抱き、その地位に達しようとする衝動を得る。
帽子の法則(第三の法則):人は、帽子の法則について、普段は認識していないが、無意識的にはそのことを強く認識している。


この法則は、私が偶然出くわしたある日の出来事に基づいている。


ある日、私はやや混雑気味の山手線のある車両に乗っていた。帰りの通勤時間だったと思う。ある駅で、一人の男が怒声を上げながら乗り込んできた。見ると、通勤客ではない。浮浪者のようだが、浮浪者にしてはこざっぱりしているし、特有の腐敗臭もない。小柄な部類だが身体はがっしりしていて、ちゃんと食事を取っている生活をしているように見える。その男が、大声で ーたぶん「殺す」とかそのようなぶっそうな言葉だったと思うー わめきながら、右に左に身体をゆらし、車内に入りこんできた。一斉に車内に緊張と戦慄が走る。


不審者は、二三歩車内に入ってきたところで足を止め、殺気に満ちた目で車内を見回した。あきらかに標的を物色している。誰でもいいから危害を加えたい、そう思っているに違いなかった。車内の緊張がさらに高まった。私を含め、男の何人かは臨戦態勢に入ってその男を凝視した。女の何人かは恐怖で身がすくんでいるのが伺えた。もはや車内には、ゲームをしている者も新聞を読んでいる者もいない。全員が男を意識している。意識していなければ逃げることも攻撃することもできないからだ。関わりたくない、自分が攻撃の対象になったらどうしよう、近づいてきたらやられる前にやってやる、乗り合わせた乗客のそれぞれが、そのどれかのようなことを考えているだろうことが手に取るようにわかる。無情にもすぐに扉が閉まってしまった。もはや逃げ場は、ない。乗客の緊張がピークに達した。


直後、意外な出来事が起こった。


不審者は、入ってきた扉と反対方向に座っていた一人の男に狙いを定め、まっすぐにその男に向かっていった。「何、生意気に帽子なんかかぶってんだよ。」


ターゲットにされたのは、不審者と同様に無職とおぼしきいでたちの青いTシャツを着て青い野球帽をかぶった中年の男だった。


車内の緊張が一気にほぐれた。あまりにあからさまに突然誰もの緊張が解けたので、私は不審な男がその様に腹を立てて標的を変えるのではないかとはらはらしたが、男は、車内の雰囲気の一変にもまるで気づいたふうもなく、帽子の男にねちねちとからんでいる。乗客は何事もなかったかのように、新聞や文庫を読むことを再開し、ゲームにまた熱中を始めた。人々は、全員が、絶対に自分がもはや不審者の標的にはならないことを確信しているのだ。私はそのことに新鮮な驚きを覚えた。


以上が、私が「帽子の法則」を発見した顛末である。


この法則は、マーケットを考えるときに非常に役に立つ。なぜキャズムがあるのか(第一の法則)、なぜ市場構造の変化を事前に捉えることが難しいのか(同)、なぜ福山雅治がダントツの好感度を持っているのか(第二の法則)、なぜ嫌いなのに意識してしまう人がいるのか(あまつさえ関連のモノを買ってしまうのか)(同)、、etc.。それらに対する処方箋や活用法を考える上での指針となる。


おまけに、この法則は普遍の法則である(第三の法則)。あなたにとっての帽子の人は誰ですか?