日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

ポストグーグルゾンと「王妃の鏡のパラドックス」


■2008年はGooglezon誕生の年

11月もあと残すところ一週間を切り、街も仕事もすっかり年末モードになってきました。来年は2008年。epic2014Googlezonグーグルゾン)の誕生を予言した年であります。

epic2014とは(知らない人のためにいちおう書いておくと)、2004年にRobin Sloan氏とMatt Thompson氏が制作した短編の映像作品で、メディアの未来を予測したものです。発表当時は、日本でもあっちこっちのメディアやBlogに取り上げられ、結構な話題になりました。Googlezonとは、epic2014の中に出てくる架空の企業体で、その名のとおりGoogleAmazon.comとの合併です。両社の持つ検索エンジンとレコメンデーション技術で、消費者個人個人に向けて最適なニュースが提供され、New York Timesに代表される旧型メディアが過去のものに追いやられるというストーリーです。

epic2014は、メディア論でしたが、GoogleAmazonが合併して歴史ある企業を駆逐するという内容はとても当時はとてもショッキングでしたので、産業界全般への警鐘と捉えられました(例えば、野村総研の次のレポートなど→“Googlezon”時代のビジネスモデルとは - ITmedia ニュース)。巨大な顧客データベースによってワントゥーワンマーケティングの精度が上がり、企業によって顧客一人一人の顔が見える時代が到来するというわけです。


■顧客DBが充実しても満足いくレコメンデーションは達成されない

しかしながら、これまでの発想でいくら顧客データベースを充実させても、一人一人に「まさに私はいまこれが欲しかったんだよ」と思わせる真にカスタマーセントリックなレコメンデーションは実現しないように思われます。私はかなりの書籍をamazonから買っていますが(全購買書籍量のおよそ半分、月1〜2万円)、私の購買データは毎月充実していっているはずなのに、amazonからはつい買いたくなるような本はさっぱりレコメンデーションされてきません。


■王妃の鏡のパラドックス

私はこれを「王妃の鏡のパラドックス」と呼んでいます。王妃の鏡とは、童話白雪姫に登場する王妃の鏡のことです。

誰もが知っているように、童話白雪姫では、王妃は自分の鏡に対し「世界で一番美しいのは誰?」と問いかけます。この問いは、王妃が自分が世界で一番美しいという確信を持っていなければ成立しません。ですが鏡は王妃の期待に反して「世界で一番美しいのは白雪姫だ」と答えます。この答えに激怒した王妃は白雪姫の暗殺を企てます。王妃はなぜ殺人を決意するほどに鏡の答えにショックを受けたのでしょう。お話しだからと言ってしまえばそれまでですが、そこにはamazonのレコメンデーションに消費者が満足しない秘密が隠されています。

鏡は毎日王妃を映していた。ところが王妃が鏡に向かうのは日に数回でしょう。ここに、このパラドックスを解くカギがあります。

人が鏡に向かうときはどんなときでしょうか? 人は鏡に向かうとき、どんな表情をするでしょうか?

鏡は、王妃が鏡に向かわないときも、常に王妃を映し続けます。ところが王妃が鏡に向かうのは自分の顔を映したいときときのみです。能動的に鏡に向かうとき王妃は鏡の前で常に極上の笑顔あるいはすまし顔をつくっていたのではないでしょうか。また、顔を確認したいときというのは自分の顔が揺らいでいる時です。人は自分を決めて行動します。様々な役柄の自分。辛いときや思いがけないことがおこったとき、王妃として適切に振る舞えるか、きっと行動に起こす前に鏡の前で意を決したのではないでしょうか。鏡に映しだされる無防備な自分が次の瞬間王妃の顔に変わる、そんな瞬間を何度も経験してきたに違いありません。

それに対し、鏡は王妃が鏡から顔を離しても、あるいはまったく鏡に気を留めていないときにも王妃を映し続けていました。王妃の鏡に対する期待は、王妃が能動的に鏡に向かった時のみが鏡には映っているはずだという潜在的な誤認識を反映しています。私は鏡に映した私の顔を知っているが、鏡が映した私の顔を知るすべは何も与えられていないのです。これが、王妃のショックの正体です。


■正確なデータ収集が消費者の期待を裏切る

amazonは消費者の購買行動を忠実にデータベースに取り込みます。そしてその全ての購買行動をアグリゲーション(集積)してモニターの前に座るあなたに対して助言を行います。そしてそれはまるで王妃の鏡と同じく、正確であればあるほど消費者の期待を裏切る結果となるのです。

ではどうしたらよいのでしょう。「釣りバカ日誌」のスーさんと浜ちゃんの関係がいい例かもしれません。釣り好きになった普段は大会社の社長のスーさんは、磯釣りの現場で「社長!」なんて声をかけられるのに耐えられないからこそ、浜ちゃんが大好きなのに違いありません。人は様々な自分を使い分けて生きる存在です。そんな人に対する適切な対応とは、して欲しくないことを決してしないということではないでしょうか。


■「欲望モデル」から「二重否定的充足モデル」へ

グーグルゾンは、人々の購買履歴からその人の購買行動を予測する「欲望モデル」でした。しかしこれでは永久に消費者の満足を得ることはできません。私は、これからは、して欲しくないことは決してしないという「二重否定的充足モデル」の実現が求められてくるのだと思います。それには、その人がその時にどういう人と見られたがっているのか、を外さずにレコメンデーションできなくてはなりません。そのためには、消費者の情報を集めて外部のデータベースに消費者のモデルを作り上げるのではなく、消費者自身が多様な自分のありようを提示する消費者主権の対話型インターフェースが実現されなければならないと思っています。


■おまけ

蛇足ですが、「二重否定的充足モデル」は、鈴木大拙のいうところの「般若即非の論理」に似ています。「二重否定的充足モデル」によるグーグルゾンの否定は、「これは私の欲しいものじゃない、なぜならまるっきり私の欲しいものそのままだからだ」ということですが、この対偶を取ると、「私の欲しいものを私が欲しくないからこそ私は私なのだ」つまりA即非A是名Aとなります。統一された自我を前提とした近代マーケティングの行き詰まりに対し、ポストモダンマーケティングは自我に対する固定化した観念をとりはらうことでブレークスルーを見いだすのです。



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