日本は成功しすぎたEUである(映画と思想のつれづれ)

明治の国会には藩の数ほどの通訳が当初いたそうです。律令制の昔から明治までの日本は連合国家みたいなもんだったんだなあ。

『私が女になった日』は素晴らしいイラン映画だった

たまに、普段なじみのない国の映画を見るのが好きだ。


こうした国の映画というのは、画面やストーリー展開が予想できないので、自分がいかに普段囚われた思考に陥っているかに気づかせてくれる。普段使わない思考や感情が動かされ、とてもリフレッシュする。旅行のような異文化体験とはちょっと違う。古武術やヨガなどを教わって普段使わない筋肉を動かす快感にも似て、生きていることを思い出させてくれるのだ。喩えて言うならアタマの海水浴だ。


アメリカだとか、フランスだとか、韓国だとかの映画もいいが、なんというか、こちらは次のシーンで自分はきっとこういう感動するだろうなということがなんとなくわかってしまう予定調和の感動だ。こちらはプールでの水泳である。


今日は、イラン映画を見た。イランという国はニュースの常連だが、私にはイラン人の知り合いはいない。日常的にはなじみのない国である。


『私が女になった日』(2000年/イラン/78分/カラー)。ペルシャ湾のキシュ島で展開される三話立ての一連のストーリー。お奨めである。今日は、映画評なんて野暮なことはしない。先入観なし予備知識なしに見るのがいいと思う。そのため、この映画をググったりDVDのコメントを読むのは絶対にしない方がいい。というのは、公開会社がある政治的スタンスからだけでこの映画を日本に紹介しているからで、余計な解説入りのネタバレを公開会社自体が公にしているからだ。それにつられて、Blogや商業映画サイトなどにも政治的な言説やネタバレが溢れている。TSUTAYAで借りるのが一番余計な情報が入ってこない。僕自身も予備知識なしで見て、あとからネットでの扱いを見て愕然とした口だ。そこで、しかたなくこれから見る人のために、ネタバレや政治的表現を一切排したあらすじを自分で書いてみた。日本や欧米の価値観のフィルターを通して見たら、普段なじみのない国の映画を見る意味がなくなってしまうものね。よかったらTSUTAYAに行ってみて下さい。



『私が女になった日』Roozi khe zan shodam


製作 モフセン・マフマルバフ
監督 マルジエ・メシュキニ


キシュ島に展開される一連のストーリー。三部構成。[2000年/イラン/カラー/78分] <第一部 ハッワ> 9歳の誕生日。この日を境に女の子はチャドルを身につけ、一人前の女性として扱われる。そうなれば、幼なじみの男の子ハッサンとも自由には遊べなくなってしまう。一人前になった孫の姿を早く見たいお婆さんに対し、まだまだ遊びたいハッワは、自分が生まれたのは午後の1時だからそれまではハッサンと遊びに行きたいという。お婆さんは少女に木の枝の棒を持たせ、これを地面に突き立てて影がなくなる正午までには帰るように言う。ハッワは喜んでハッサンを探しにいくが…。<第二部 アフー> 自転車レースに参加しアスファルトの一本道を行く女アフー。途中、一人の男が舗装されていないコース外から馬でアフーを追ってくる…。<第三部 フーラ> 島の空港に降り立った飛行機から、一人の老婆フーラが現れる。フーラは空港内のデパート(バザール)で買い物をする。しかし、たった一つ買うものを思い出せないフーラは、人足の男の子たちに…。


(cinemascape投稿済)

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