『アナと雪の女王』主題歌"Let It Go"を日本語に訳してみた
『アナと雪の女王』の評判が凄いです。中森明夫氏のコラム(「中央公論」掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈 – REAL-JAPAN.ORG)を読んだら私も見に行きたくなってしまいました。
Disney's Frozen "Let It Go" Sequence Performed by Idina Menzel
山中千尋(トリオ)のビートルズ
世間的には超が付くメジャーだけれども、どうにも自分にはピンと来ない音楽がある。クラシックではモーツァルトがそうだし、ポピュラーではビートルズがそうだ。
自分のことをへそ曲がりだとは思いたくないので、なんとかそれらとの和解を探索してきた。そうして出会ったのがグールドの弾くモーツァルトで、今日、幸いなことに山中千尋の弾くビートルズに出会うことができた。
山中千尋はNYを拠点とするバークリー音楽院を首席で卒業したジャズピアニストだそうだ。私はジャズは半可通なので、つい最近まで山中千尋の存在を知らなかった。ふだんコルトレーンやオスカーピーターソンなどのかつての巨匠ばかり聴いている私は、王や長島は知っていてもマー君を知らなかったようなものかもしれない。ごめんなさい。
さて、山中氏はいろいろなカバーアルバムを出している。その中の一枚が『Because』というビートルズのカバーである。これが凄い。
例えば、Yesterday。
ナイーブなイギリス人がアフリカの旧植民地に連れてこられて説教くらってるみたいなアレンジだ。クールなイントロからアフリカンなドラムに引き継がれ、その中に借りてきた猫のようなピアノの音でYesterdayのメロディが奏でられる。これではまるでビートルズはさらし者ではないか。
でもかっこいいのだ。イギリスにとってのイエスタディは大英帝国時代だってことを思い出せ、か。そしてジャズはアフリカンをルーツとする音楽だ。なんという諧謔。なんという皮肉。市中引き回しのように演奏されるビートルズを、誰が想像できようか。
ビートルズのジャズアレンジは、同じヨーロッパ人のウォルター・ラング・トリオも出しているが、こっちのYesterdayはビートルズ愛に溢れすぎてイージーリスニングのようだ。山中を聴いた後ではダサさが際立ってしまう。
対象をリスペクトしながら時には小馬鹿にしているのかと思えるほどに洒脱に翻弄する、そんな愛情表現は、モンティ・パイソンを産んだイギリス人相手だったら許されるはずである。この悪戯心に溢れた知的な所業は、どこかで聴いたことがあるぞ、と思っていたら山下洋輔を思い出した。ああ、この人はまごうかたなき日本のジャズの系譜の人なんだと思ったら余計に嬉しくなってきた。山中千尋、遅ればせながらこれから注目していきたい。
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『偉大なる、しゅららぼん』と京都と福井
『風立ちぬ』は挑発する
泣いた。なので、自分は感動したのだろうと思うが、何に感動したのか非常に感想に書きづらい。愛だの時代だのの陳腐な切り口の先にあるものを「風」以上の言葉で書き連ねることが難しい。「泣いたから感動」では馬鹿だよな、俺。
作者の物を作る人間としての自分の業への「開き直り」とおぼしきこの映画は、しかしながらそうであるはずなのに、スクリーンには「達観」が溢れているように見える。
しかもそれは昇華ゆえではなく、「達観」を表現の技術で表わした作品なのだろう。
そしてそれは、自己肯定でも運命への諦念でもなく、風を感じ風を制し風に委ね風を愛することを己の人生とした宮崎駿だから可能だったということなのだろう。
10年でいいから生ききってみろ。10年は長い/短いではない、個人の感傷を超えた時代と向き合う10年をお前は生きられるのか。そう言われたような気がした。俺は仕事を通して何か多少なりとも刹那でなく作り出すことができるのか。やはり宮崎映画は甘くない。
『ローマでアモーレ』に笑った笑ったでも泣けたよ
死を意識したウディアレンが葬儀屋と歌い上げる凡人の幸せと愛と人生。
以下ネタバレあり。
キリストじゃない凡人は復活しないんだよね。前衛的なオペラの演出に人生を懸けてきたウディアレン扮するジェリーにとって引退は死と同じ。妻に時代を先取りしすぎてるのよと慰められているジェリーは評価された作品のないままに引退してとても心残り。
そんな彼は、シャワーを浴びてないと美声が出せない葬儀屋と出会い、復活に挑む。葬儀屋の歌は大絶賛。でも葬儀屋は実力が認められたことに満足し歌手の道は選ばずもとの葬儀屋に戻る。一方、シャワーの演出は酷評されるもイタリア語がわからないジェリーはそのことを知らず、妻はあなたは時代を先取りしすぎてるのよと変わらぬ言葉をかける。泣けるなあ。
全編超くだらないギャグの連続で笑いが絶えないんだけど、世間の評価に満足できない男(ジェリー)、夢の実現に踏み出せないでいる男(葬儀屋)、一度浴びた脚光を再びと願う男(パパラッチされた人)、金儲けに魂を売って半分くらい幽霊になっちゃってる建築家、などなど戯画化されたありがちな男たちと、それを丸ごと受け入れている女たちの人物設定が見事。
ベタな演出に徹したギャグの数々、それぞれ個別のエピソードのつなぎの妙など、ラフスケッチのようで実は大変に緻密に作られている。まるでピカソの泣く女のようだ。
ハリウッド的な大作に背を向けているウディアレンが喜寿を迎え、己の死の予感に、「足れりの思想」を執拗にギャグで練り込んで作品にした。沁みたなあ。
シャワーはリフレッシュできる手軽な再生のツールだけどいつまでも浴び続けられるわけじゃない。大いなる復活と無縁な我らは、小刻みな再生を繰り返し生きていくんだね。そんな人生は、愛につつまれ笑いに溢れていなければ、単なる濡れ鼠の人生になってしまうもの。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は、やっぱりQ文書だった!?
「序」「破」ときて「Q」ですか。死海文書をネタとして扱ったエヴァだからQは当然Q文書だろうなと思って見たらやっぱりそうだった。期待を裏切らない期待の裏切られかたに★5です。ということでQ文書について書きます。
Q文書、すなわち聖書のパラレルワールドは、親鸞の唱える世界観に近い。悪人正機でこそシンジも碇ゲンドウも救われる。神に寿命があるという考えも古代仏典っぽくて好き。この世界観には乗れる。いやーわかりやすいエヴァいいわあ…と勝手に思っていますが、この解釈でいいんだろうか。『:||』楽しみです。
さて、以下「Q文書」とされているものからの抜粋です(バートン・L・マック著「失われた福音書」 青土社より) 。
---ここから---
■「何と幸運な者だ、泣いている者は。彼らは笑うだろう。」(QS8「幸運な者について」)
■「おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。」(QS9「非難への応答について」)
■「裁くな、そうすれば、裁かれないですむ。おまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。」(QS10「裁くことについて」)
■「隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。」(QS35「はっきりと言え」)
■「父や母を憎まない者は、わたしから学ぶことは出来ない。娘や息子を憎まない者は、わたしの弟子になれない。」(QS52「弟子となるための代価について」)
---ここまで---
でも、ヴィレが出てきて物語の構造がナウシカ(漫画版)に似てきたような気がするのは気のせいでしょうか。
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